2010年02月09日

幼い頃

本当は純真だったんだよね、僕たちみんな。

みんなのことが好きだったし、あの人とこの人を分け隔てしたり、批判したりしなかった。


笑いたいときは体中で笑って、泣きたい時は手放しで泣いた。


自分と共に生きていた。


何にでもすぐに夢中になった。


自分に正直だったし、素直な気持ちで生きていた。



そんな幼い頃の自分が持っていて、大人になった今、忘れてしまったものを取り戻そうとしている・・・結局はそういうことじゃないかと思う。



人生でいろんなものを手にしてきたけれど、それらが必ずしも自分を幸せにしてくれるわけではないことがわかってきた。


言葉をたくさん覚えて、正しさをたくさん覚えて、それと共に、正しくない自分の内面をたくさん発見して、そうやって自分を嫌いになっていったような気がする。


だから、もう一度元に戻りたいと思う。

あの純真だった頃にね。




それはいまも変わらず、心の底で生きつづけています。

誰の中にも変わらずにあるんです。


ただ、余計なものが付いてしまっただけで、それを失くしたわけじゃない。


これからの僕たちに必要なのは、新しい何かを得ることではなく、元々あった自分本来の姿に戻ることだと思います。



「幼子のようにならなければ、天の王国には入れない」(マタイ伝)



そのためには、何もせず、ただ静かに座ること。

呼吸を整えて、何も期待しないで、ただ静かに待ち続けること。


すると、いつの間にか、「彼」が顔を出します。

それは純真無垢な、自分の本性です。



そこに自由への一瞥があります。

それは、ずっとずっと探し続けてきた、心の故郷です。




今朝は、そんなことを思いました。




・・・・・・・・




今夜の沖縄いまここ塾と、明日の水曜の会は、どちらも那覇市てぃるるで19時半からです。

予約は要りませんから、気軽にお越しください。



Posted by Toshiro Abe at 08:44│Comments(31)
この記事へのコメント
幼子の気持ちを忘れると言うのは、人の成長過程で必ず通らなければならない道なんでしょうね。

私は小学四年で転校し、その初日から自分を客観視しはじめました。ある意味、長い苦しみの初まりとも言えます。

小一の息子にも、今の純真さを持ったまま大人になってくれないかな、などと思いながら、一方で社会の常識や適応の仕方を教えていかなければならないのも、親としてちょっと心苦しいのです。
Posted by nk at 2010年02月09日 09:24
おはようございます。
ちょうど私も同じように感じてました(笑)
無垢でピュアで透明で・・・
言葉にならないけど(笑)

みんな本来そうだから。

子供の前、赤ちゃんのもっと前、生まれてくる前から。
今日はなんだか不思議な感覚です(笑)
ありがとうございます。
Posted by うめ at 2010年02月09日 09:30
おはようございます。阿部さん、みなさん
今朝も阿部さんの感性に歓声をあげました


ほんと…我が子を見ていると、素直に生きてます。凄くピュアで真っ直ぐな心で物事を見つめてます。今日から我が子が私の模範先生だぁ~
身近にこんなすばらしい存在がいて、有り難いなんて…また日頃当たり前だった事に幸せを感じる事が出来ましたありがとうございます阿部さん…
Posted by あべゆみ at 2010年02月09日 09:31
阿部さん、おはようございます。

今日のコメントよくわかります。

私は物心ついた時から両親に対して笑ったり泣いたり怒ったりと感情を閉じ込めてきました。
その事に気づかないので、体がいつもサインをだしていました。
今ならわかります。
もっと素直になっていいんだ~~
感情表現していいんだって^^
でも、まだ全部とはいかないけれど・・・
幼少時よりも今のほうが超元気!!
これも阿部さんのブログに出会えたおかげです。
感謝♪
Posted by raruru at 2010年02月09日 09:34
おはよう!阿部さん!皆様!

そうそう、人生は戻る旅なのです。
赤ちゃんのような無垢な姿にもどること。

どんなに楽に生きられることかと思います。
みんながんばろう!
静寂をさがして!
リラックスして!
Posted by ゆり at 2010年02月09日 09:49
おはようございます、阿部さん、皆さん。

なんだか今日の記事をよんで安心できたというか
ほっとしました。
最近の私はなんだかせわしなくイライラして
生きていて、とても生きた心地がしなかったです。

ありがとうございました。
Posted by 華夏 at 2010年02月09日 09:50
阿部様

いつも感謝しています。
Posted by ハーモニー at 2010年02月09日 09:55
阿部さん、みなさん、

おはようございます。

ホント、子供の頃は純粋で無邪気で、単純でしたね。

田舎でしたから、自分でおもちゃ作ったり、夢中で遊んでました。
自然が遊び相手でした。

今も田舎に住んでいますが、心の中には観念の山ですね(笑)
今日の記事は、あの頃を思い出させていただきました。

当たり前に遊び、何も考えずに遊び、親からは怒られ、
それでも又遊びまわる・・・野に山にと・・・

あの頃の心なんですね、私たちに必要なのは。
そんなことを思いました。

今日も素晴らしい記事をありがとうございました。
Posted by hiro at 2010年02月09日 10:03
はじめまして。
Gypsyと申します。
実は以前からお邪魔させて頂いておりました。
(なかなか思う事や感じる事を書く事が出来ずに
何度も書いては消しの繰り返しでした。)

子供の純真さは確かにあるとは思うのですが、私は精神的に過酷な
親の元に生まれたので物心ついた頃がら、なんていうか糸の切れた凧の
ような行く先など見えない不安を抱えていました。
人の顔色や感情が突き刺さるようにわかってしまって悲しい氣持ち
空しい氣気持ちになる事が多かったんです。
(幽体離脱して自分の姿を見ているような精神状態の時が多かった
氣がします。ひと時だけでも避難するというか。
でなければ、崩壊してしまう事を私の何かが知っていたような・・・)
家族というものの意味が未だにわからないのです。
そんな風に時を過ごして来た私の中に純真な自分などいたのか・・・
・・・わかりません。

生きる事には意味があるのだという事にも疑問を持ち続けていました。
今は目覚めというか氣がつく事が出来て軌道修正中です。
(本やネットなどたくさんの情報に触れていますが、自分の中でマージ
出来てない感じなのです。)
「今ここ」も、霞がかっているような感じでまだわからないんです。

乱文お許し下さい。
また、お邪魔させて下さい。
Posted by Gypsy at 2010年02月09日 10:22
たくさんの方々を導かれてる 阿部さんが
 
こんなメッセージを 書いて下さる事が

とても うれしいです。

ありがとうございます。
Posted by あい at 2010年02月09日 10:38
阿部さん 皆さんおはようございます。

純真無垢になろうとしたり、戻ろうとしてなるものじゃないと、今は感じます。

常に自分を さらけだしていられる 隠す必要のない心の自由さ。
何にも縛られない意識。
現実は厳しくても それさえ捕らわれない。

毎日毎日 リセットして 心の垢は お掃除している途中です。
Posted by 水 at 2010年02月09日 10:46
阿部さん*:.
今日もタイムリーに、答えとなる素敵なお話をありがとうございます!

nkさんの仰り同様に、
>幼子の気持ちを忘れると言うのは、人の成長過程で必ず通らなければならない道
…なのでは?と、私も考えてきました。

だからこそ今、無垢で純真な、子どもの自分に帰りたい、と思っていました。

そう思いだすと、私の悪い癖で(じゃぁ、そのためにはどうすれば?どうすれば??どうすれば???)と、つい「考え」過ぎてしまいます^^; 考え過ぎて、疲労困憊に…^^;;;

けれど、阿部さん!
>そのためには、何もせず、ただ静かに座ること。
>呼吸を整えて、何も期待しないで、ただ静かに待ち続けること。

これなのですね!
せっかちな私は闇雲に考えて、動き回ることを繰り返してきたので、
『座して静かに待つ』という心を失くしてしまってました…。
今日から少しずつでも、『静』の時間をとっていってみようと思います。

今日も、ありがとうございました!!
Posted by kuni at 2010年02月09日 11:06
「只管打坐」

阿部敏郎さん、おめでとうございます。
そして、同志の皆さまには、ご機嫌よう。

お久しぶりに書き込みをさせていただきます。

阿部さんの今日のメッセージ…、私には何よりの励ましになります。
「何もせず、ただ静かに坐ること。
 呼吸を整えて、何も期待しないで、ただ静かに待ち続けること」

これって、わが宗旨のご開山、道元禅師がおっしゃった
「只管打坐(しかんたざ)」
そのものではありませんか。

今月の18日から僧堂での修行が始まる私には
多分、1日の半分近くは
「何もせず、ただ静かに坐る時間」が与えられると思います。

この歳になって、そういう機会を与えていただけるということは、
本当にありがたいことだと感謝しております。

特定の宗教には肩入れをしない阿部さんからのコメントとして
肝に銘じつつ、只管打坐の3年間を送ってきたいと思います。

帰ってから、また、ここへ書き込みにくることを楽しみに
修行を進めてみます。

後、1週間は娑婆に身を置きますが、上山まで静かに
阿部さんのコメントを見させていただくことにします。

それでは、どうぞ皆さんもお元気でお過ごしください。
Posted by 二代目勤勉亭親不孝 at 2010年02月09日 11:21
阿部さん、みなさん、今日も
あったかメッセージありがとうございます。

今日の記事を読んでて 
頭にうかんだ一言

「すっぽんぽん!」

なぁんかいぃかんじです・・(^ム^)
Posted by めーやん at 2010年02月09日 13:20
阿部様 みなさま きょうもありがとうございます。

>何もせず、ただ静かに坐ること。
 呼吸を整えて、何も期待しないで、ただ静かに待ち続けること。

瞑想中に、自我が邪魔をします・・・

「彼」を見つけても、この世の中で生きて行くのには役に立たないんじゃないの?

自由への一瞥が、この苦しみの解決にはならないんじゃないの?

時間は待っちゃくれないよ、だんだん苦しくなるだろぅ!・・と。

それを無視しているつもりの自分に言い聞かせます。

焦るな!焦るな!

リラックス!リラックス!
Posted by hiro-k at 2010年02月09日 15:32
阿部さん、みなさん
こんにちは。

失ったように見えても誰の中にも子どもの部分は形をかえて必ず残っていますね。でも、子ども時代でもエゴにコントロールされていた部分はあるわけで(例:おもちゃを自分の所有物として執拗にこだわる)、だから、子ども時代のエゴから自由だった瞬間を持ち続けていたいです。

それではまた。
真夏のオーストラリアより
モナカ寅次郎
Posted by モナカ寅次郎 at 2010年02月09日 15:44
余計なことをあれこれ考えるクセ。

自分を痛めつけているなぁと。

余計なこと考えた後、トゲを抜くようなイメージでスッスッとやっていたら、不思議と物事がスムーズに動くと実感した1日でした。

クセになってる後悔や期待。
あまり捕らわれないように過ごしていこう!

自分を責めず、もちろん周りも責めず。
いいも悪いもないのだと。
Posted by 葉砂 at 2010年02月09日 16:16
最近は『ゆとり世代』に続いて『さとり世代』という言葉も生まれているようですね。消極的な若者を揶揄した言葉のようですが、ほんとにさとればいいのになー。
Posted by ゆーきー at 2010年02月09日 16:17
阿部さん、みなさん、毎日気づきのメッセージありがとうございます。

最近、心から静かに沸き上がってくるものがありました。
 ・感じながら生きる(右脳を使う)。
 ・アナログに生きる。
 ・童心で生きる。

本日のメッセージ、とてもうれしかったです。

感謝。
Posted by こころ at 2010年02月09日 16:45
おいでおいでと源が呼んでます 闇を見なければ光を感じれなかった健忘症です もう忘れないぞ愛裸舞優
Posted by 自遊 at 2010年02月09日 17:01
>本当は純真だったんだよね、僕たちみんな。

>そんな幼い頃の自分が持っていて、大人になった今、忘れてしまったものを取り戻そうとしている・・・結局はそういうことじゃないかと思う。


本当にそうですね!

忘れてしまったものを取り戻したら・・・

もう、二度と忘れる体験には、陥ることはないんでしょうね♪


子供の純真さには、無知の幼さが潜んでいて・・・

忘れるプロセスを経ることのより、

その純真さに、覚醒という光がもたらされるんですネ♪^^


だから、忘れるプロセスも大事な体験ですよネ!

*⌒-⌒*
Posted by 美津子 at 2010年02月09日 17:33
阿部さん。

皆さん。

こんにちは。

ほんと幼い頃は誰にも気を使わず無邪気に遊んでましたヮ。。
公園で笑顔で追いかけっこしてる子供を見てるとこっちまで笑顔に
なるから不思議です。

今日の記事なんかとても心に残ります。

何か最近忘れていた大切な事を思い出しそうです。
Posted by 大工見習い at 2010年02月09日 17:39
今日のブログを読んで、私の[自我くんかもしれない?]感じたことをそのまま書きます。

 「なら、なんで人はこの世に生まれてくる必要があるのでしょうか。」

 という、「今さら、なんでそんなことを…」という思い。

 でも、私は 水さん が 書き込んでいるように純粋無垢に戻ることはできないし、そんなこと意味があるのかなと感じます。

 むしろ、純粋無垢でない自分だけれど、
 客観的にみれば悪いことだらけの自分だけれど、
 本当によく頑張っているよなあ…って、
 偉いよなぁって、
 自分を、特に、自我くんを、認めて、許して、褒めること。

 それが一番大事なことだと思っています。

 ごめんなさい。

 きっと、こんな書き込みを思いついたのも自我くんのせいでしょうね。

 でも、そんな自我くんが私は大好きです。
Posted by 博文 at 2010年02月09日 18:03
もう既に、観念と思考の渦に飲み込まれちまってる4歳の息子を見ると、不憫。

幼稚園で先生にいろいろと世の中の決まりを教わってきて、まじめにキッチリ守ろうとしている様子を見ると、

「こうじゃなくちゃいけない なんてことは、全然無いんだよ」

と教えてあげるものの、「ち・が・う~、こうしなくちゃいけないの!」と反論される始末。

我が家では親と子の固定観念が逆なんです。
今の子供は生きにくい?
Posted by ss at 2010年02月09日 19:00
神人タケ 日月地神示
Posted by 匿名 at 2010年02月09日 20:46
阿部さん、皆さんこんばんは♪

今日の阿部さんの日記と同じことを考えていました。
思考でいっぱいいっぱいになっている時、

本を読んだり、勉強するのをやめて、
子どもと遊ぶことに没頭します(笑)
ある時、遊びに没頭するあまり、我を忘れた瞬間がありました。

その時こそ、今に生きてる感覚を味わいました。気づいた時は今を生きていませんでしたが(笑)

ハッ!という気づきでした(笑)
Posted by kayo at 2010年02月09日 21:24
阿部さん、皆さん、こんにちは。
初めまして。
ここを訪れると妙に懐かしさを感じますし、安心します。

瞑想を勧める人たちの言葉が、今日の話で、やっとこさ、ああ、そう言う意味だったのかと思いました。
現実を忘れる為に瞑想をすると思っていたから、それって変じゃないかと思ってました、実は違うことだったんですね。
ありがとうございました。
Posted by 寿 at 2010年02月09日 23:54
阿部さん みなさん こんばんは

 今日も 素晴らしいメッセージありがとうございます。
このお話は、先日の神戸いまここ塾でもしていただきましたね。

 その時のお話で、子供の頃は何もかも初めてのことが多く、一秒一秒が新鮮で、一日一日が長く感じるんだろうね。 と言ってた事 自分の子供の頃を思い出して、本当にそうだと思いました。

 あの頃はみんな「いまここ」を生きてたんでしょうね。だから理由もなく心の底から喜びが溢れていたんだと思います。 何を手にしたというわけでもないのに幸せでした。

 僕達が本当に取り戻さないといけないのはこの「いまここ」だと確信しています。 

神戸での質問コーナーの時 「いまここ」にいることについての質問のアドバイスをいただいて、帰りの電車の中、風景を眺めながらリラックスして、流れさる景色の中「いま」を味わっていました。

 すると11月の大阪いまここ塾で感じていた 幸福感が心の底から溢れあがってきました。 その時 時々感じることがあったこの 恍惚感とも幸福感ともとれるこの訳のわからぬエネルギーは 「いまに在る」時に感じることが出来る魂の喜びだと知りました。

大阪いまここ塾の時も、 阿部さんのお話を全身で聞こうとする事で、「いまに在る」事ができたので心の底から溢れてきたのだと思います。
 
この幸福感がないとき、それは僕が「いまここ」にいないときです。たいていは過ぎ去った事や、先の心配をしています。 その事に気づいて 今に焦点を合わせ、思考の雑音が消えていくと 幸福感が溢れてきて僕を包んでくれます。

 この幸福感は何を得た訳でもなく、何を達成したわけでもないのに溢れてきたものです。 それはこの世界に存在する事の魂の歓喜だと思います。 僕達は存在するただそれだけでとてつもない祝福を受けているのだと実感しました。

ハルミさん なおさん とても無責任な言葉に聞こえたなら本当に申し訳ありません でもこの心にこみ上げてくるお思いを書かせて下さい。 

 痛みと痛みの中、僕なんかより何百倍も何万倍も、いまこの瞬間を生きられていると思います。 だからきっと必ず「いまに在る」事を体現して、この存在する事の歓喜がその心の底からあふれ出てくると信じています。 

 願わくば その歓喜の中、痛みが少しでも溶けていってくれることを心からお祈りいたします。
Posted by A K I R AA K I R A at 2010年02月10日 00:17
コメントありがとうございます。


二代目勤勉亭親不孝さん

ご健闘お祈り申し上げています。

どうぞ、心ゆくまで楽しんできてください。

このような幸運に恵まれてよかったですね。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2010年02月10日 01:12
今朝の坐禅で感じました。


自分は存在しない

しかし、在る

身体は存在しない


この世に生まれる前に戻ったような

そんな感じです。


この道を最後まで突っ走らねば・・・


やらまいか!!


ありがとうございます。
Posted by sawa at 2010年02月10日 05:16
敏郎さん、みなさん、こんばんわ。

敏郎さんおすすめの紘矢さんの本を読みました^^
お二人はそっくりブラザーなんですねw
姿勢というか、抜け加減というか。
覚醒を促しつつも決して押し付けない。
流れを知っているからこそ、
相手の自由を尊重する温かさを感じました^^
余裕たっぷり。のんびり。ゆったり。

>自分と共に生きていた。

最近、ようやく孤独がわかってきた気がします^^
私はいない、私しかいない。
言葉だと孤独はマイナスイメージですが、
子供って実はみんな孤独なんだなあと^^
開いた孤独、至福の孤独、大きな私。
そうだ、私も子供の頃そうだった!ってw

敏郎さんにまた会いたくなっちゃいました^^
Posted by ごん at 2010年02月10日 06:27
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