2009年01月14日

喫茶去

物質文明が過渡期を迎えると、人は精神的な充足や成長を求めだします。

それはとても素晴らしいことですが、いくつかの落とし穴もあります。


たとえば、精神性の高い人を生きようとする傾向です。

ここでの問題は、そのような人に対する先入観がすでにあることです。

「精神性の高い人はこういう人だ」というイメージが先にあるのです。


精神性の高い人は、物静かで、感情が安定して、愛情深く、物欲や性欲も少なく、いつも気品を携えて・・・

そして無意識に、そんな人間になろうと努力するのです。


なれるのなら努力してもいいですが、実際には僕たちはそのような人になれませんし、なる必要もありません。


そもそも、僕たちの感情やメンタル状態は一定ではないのです。

それが生きるということであり、生きるとは絶えず変化しているということです。

ある時は優しく穏やかでも、ある時はちょっとしたことに腹を立てたりもします。

それでいいのです。

感情を一定にして、常に穏やかな人であろうとすれば、不自然になるだけです。


精神性の高さとは、そんな人間的な面が無くなることではないのです。

いくら悟った人でも、新しい物が欲しくなったり、性の衝動が体中を駆け巡ったりもします。

生きていればあたりまえのことです。


それなのに自分の精神性を高めるために、高潔な人格になろうと奮闘する人がいます。

行動を律し、身を厳しさの中に置き、正しい生き方、正しい坐り方、正しい修行法、正しい生活態度、正しい・・・


そしていつの日か悟ろうというわけです。


でも決して悟れないと思います。

だって、悟ろうとして努力しているということは、今のままの自分ではダメだということが前提になっているからです。

そして悟りとは、いまのままの自分でOKだということを知ることなのです。

自分ではない何かになろうとする態度こそが、悟りを遠ざけているのです。



それでは本当の精神性とはどんなものなのでしょうか。

僕に言わせれば、このような情報に興味を持つこと自体、精神性の高さの表れです。

それを素直に認めて、あるがままの自分を生きるのが一番の近道です。


なぜならそこには嘘がないからです。

少なくともあるがままの自分にはリアルなものがあります。


完璧であろうとする努力をやめれば、物事は自然に落ち着くところに落ち着いてきます。

自分以外の誰かになるのをやめ、あるがままの自分にくつろいだ時、心に平安が広がります。

それが悟りです。


今までに何度も何度も聞いてきたでしょ?

あるがままのあなたでOKだって。


今までに何度も何度も本で読んだでしょ?

あるがままの自分を受け入れなさいって。


あなたはそのたびに言います。

「そのことは知っていますよ」


でも本当に深く深く、その話を信じたことがありますか。

ただ頭で知っているだけで、実際には先延ばししていませんか。

「あるがままの自分でOKかもしれないけれど、それはいまのあるがままじゃない。これでいいわけがない。いつかあるがままの自分にOKを出せる日が来るはずだ」


そんなふうに考えていませんか(笑)




ま、お茶でも一杯いかがですか カフェ




今日もいい日でありますように。


この記事へのトラックバックURL

http://abetoshiro.ti-da.net/t2397882
この記事へのコメント
今日のお話、ホッとしました!
最近、自分の言動の元の思考に敏感になっているので。
Posted by 菜緒 at 2009年01月14日 10:02
阿部さん、今日も心がやわらか~くなるお話ありがとうございます(^-^)

仕事中ですが休憩中によくこちらに来ます☆
あるがままでいいというのが一番、嬉しいです!
トロくて超マイペースな私なので周りの人をイライラさせちゃう事が多いのですが(-。-;)

阿部さんのメッセージを読むと心が喜びます♪

阿部さんが存在してくれて、阿部さんに出逢えて本当によかった(ノ_・。)
死ぬまで、いえ死んでからも(笑)末永~くよろしくお願いします(^-^)/
Posted by 静香 at 2009年01月14日 10:02
阿部さん、おはようございます!
今日も朝から素敵なこと話してくれてありがとう!
心に沁みて、あったかくなって、涙が溢れてきたよ。
自分を認めようとして、受け入れようとしながら
まだどこかで否定している自分がいる。
そして心の平安を求めている。

ほっとひと息、お茶すすります~
Posted by かな at 2009年01月14日 10:07
やっぱり阿部さんの話はわかりやすい!

どうしても何者かになろうとしちゃうんですよね

…でなければいけないって

お茶いただきま~す。
Posted by たび at 2009年01月14日 10:09
年をとると、ひとは子どもに還るとよく言われますけど、
50歳くらいから一年ずつ若返っていったらいいのになあ。
そんな空想をしたことがあります。
赤ちゃんにもどったら、人生ゲームは終了して、
次の次元に生まれ変わる。とか(笑)

私は年のわりに子どもっぽいところがありますが、
これからは少しずつ子ども心に還っていきたいと、
いまのいま思いました。
すると急に歌をうたいたくなりました。
アセンションの歌です。
よかったら、みなさんもごいっしょに(^▽^)


♪夕焼け小焼けで〜日が暮れて〜

 山のお寺の鐘が鳴る〜

 お手てつないでみな帰ろ〜

 阿部さんといっしょに〜

 還りましょ〜♪
Posted by 白猫庵 at 2009年01月14日 10:11
おはようございます。

いつもブログを拝見させていただく時、涙が出てしまうんです。

こんな私は、阿部さんのブログに出会うまでは、自分を好きになれませんで

した。もっとこうならなければなどと、自分を責めてばかりでした。

そして自分に厳しいのは良いことなのだと信じていた気がします。


今は、好きとか嫌いとか言うのではなく

今の自分の置かれている状態(主人や子供を含めた環境、人、物など)を愛

おしく感じる事が増えて、そこに居られる事に感謝する日々です。

自然体。。。こんな言葉で言い表せるはずもありませんが、

すべてがなるようになっているのだと、感じています。


なんと!!!春には大阪講演が予定されているとの事!!!

私の・・・年越しの願いが叶うのです。

今からわくわくしています。
Posted by さくら at 2009年01月14日 10:12
笑えてきます。
私やん・・・
ありのままでOKじゃないからつい人と比較しちゃうんですよね。何かになろうとして。だからかつい人のことも批判してないふりをして心で批判したり。
「もっと気楽にいきなはれ」ってよく言われるんですよね。
そうですね(^0^)/
ありがとうございます。
Posted by 亜紀 at 2009年01月14日 10:14
『 ありがとうございます 』

ほんとうに・・・

ほんとうに・・・

その通りだ!と 最近やっと 自分を・・

今の自分を認めてあげることが できるようになってきました。

これも 阿部さんの「おかげ」です。

私は 宗教に身を置いておりました。先祖も家族も み~んな身を置き

生活になっておりましたので。。。

今日の阿倍さんの日記のように 立派な人にならなければ。。。が

強かったです。

でも たんぽぽ は たんぽぽらしく・・・

決して薔薇になる必要もないし どちらが上で どちらが下でもなく

どちらも必要だ。。ということが身に沁みてわかりました。

そして どちらかというと わたしは『たんぽぽ』だとわかったのです。

わたしは わたしらしく

あるがままに生きて大丈夫。 と思え このままでいいんだ と思えてから

なんとも毎日が まるで余生を楽しんでいるかのような心の余裕が生まれました。

阿部さん ほんとうに ありがとうございました。

こころから こころから 感謝いたします。
Posted by ひとみ at 2009年01月14日 10:19
あはははは・・・
恥ずかしいほど、私の心!
お茶飲も~。 (^^ゞ
Posted by ほさる at 2009年01月14日 10:19
なんだか幸せになりました。
笑顔でニッコリです。
良い一日になりそう!
Posted by よ at 2009年01月14日 10:29
=^-^=うふっ♪(*'ー'*)ふふっ♪(^ー^* )フフ♪フ

お茶したい〜(⌒-⌒)

今日の話しのような事を知り合いに話した事があるんです。

「偽善者になっている自分がいることなんですよ」

なんて、言ったら「他の人に「偽善者の心」って言ったら避けられますよ」なんて、助言されました・・

私も、割と直球なものだから・・ちょっと過激発言なんですが、そこまで表現しないと自分達は気ずか無いんじゃないかしら?と思っていたんです。

阿部さんのような、優しい表現を学びます(*^-^)
Posted by sonomi at 2009年01月14日 10:30
その努力をして、できない自分を咎めているときがよくあります。
ありがとう 敏郎さん 救われる思いです。
Posted by のいちご at 2009年01月14日 10:40
阿部さん 今日もありがとうございます。

そうですよね そのまんまの 自分でいいのに

もっと もっと もう少し頑張れば  
本当のありのままの自分に出合える・・・

と思ってしまうんですよね。


でも それもありのままの 自分なんでしょうけど。(^o^)
Posted by あい at 2009年01月14日 11:01
昨日からあるがままについて考えていました。
まさに悟りの人を目指していたことにも気づいてしまい、
それに自分はごくごく普通で凡人だと言う事に気づいてしまい、、、(^^ゞ
今までもそうだったし、、これからもきっとそうなのかも、、、
今以上の幸せを求めることに終止符を打ってしまおうかと考えていたのですが、なかなかyesといわない、言わせない私がいました 笑
でもとても楽チンな気分です。
 ありがとうございます☆☆☆
Posted by tomatoma at 2009年01月14日 11:03
こんにちは。

いつも、大胆なご意見ありがとうございます。

今回のあべさんは、
なんだか
親鸞の
他力本願や悪人正機を

おもいおこさせますね。
Posted by ゆうさく at 2009年01月14日 12:02
普段の自分では苦しい。苦しいのは欲や怒りがあるかららしい。欲や怒りをなくすために行動する。でも、その行動が悟りを妨げていると安部さんはおっしゃる。思考してるからダメなんですかねえ・・・。
Posted by ゆーきー at 2009年01月14日 13:04
はじめまして♪♪

昨年秋に 阿部さんのブログを知り、すっかりはまっております。
まあ、お茶でもいっぱい・・・という言葉に ほっこりして
つい コメント入れてしまってます。
きょうの記事は 絵を描くときに陥りやすい心境で
さっきもそのことを記事にしたところでした☆

題名も私の名前??みたいで・・・

阿部さんの素晴らしいメッセージを、時々拙ブログで紹介させていただいてよろしいでしょうか。
実は一回 記事リンクいただきましたm--m
ここはアクセスいっぱいの人気ブログなので
ご挨拶する勇気がなかったものですから☆
よろしくお願いいたします。
Posted by KISA☆ at 2009年01月14日 13:27
こんにちは。
東京のライブ楽しみです。
と言っても仕事なので何かが起きなければ行けませんが。笑)

思考と思考の間の時間を感じてゆっくりリラックスして行きます。
やさしい言葉をありがとうございます。
Posted by bdfkf518 at 2009年01月14日 13:45
阿部さん、はじめまして。

「あるがままの自分でOK」
」あるがままの自分を受け入れる」

その通りなんでしょうけど、うまく受け入れ
心からそう信じることが出来ません。

感情的になって子供をしかってしまったり
優しく出来ない自分は、とてもOKとは思えない。

でも阿部さんのおっしゃる通り、なかなか変われない。

どうしたら、そのままの自分でOKと思えるようになるんでしょう?
どうしたら、目覚めることができるんでしょう?
本当に自分の中に、聖人たちのような慈愛や高潔さがあるのでしょうか?
Posted by めびうす at 2009年01月14日 13:55
昨日、会議の場でなんか上手いコメントをしようと思い
自分の出番になったとたんに頭が真っ白、パニック状態に…
顔から火が出る思いでした。

今も自己嫌悪感でいっぱいです。

自分は自分で良いんだって言葉も、リアルなその場になると
すぐにぶっ飛んでしまっています。

阿部さんのコメントを見てる時は「そうだ、そうだ」って
納得しているんですが。

それも含めて、今は自分を認めてあげたいと思います。

今日もありがとう。
Posted by 福郎 at 2009年01月14日 14:10
阿部さんこんにちわ。

最近人と自分を比べてしまう私がいまして・・・

そうですよね、私はこの世に1人しかいないんだから
思いっきり褒めて、愛して、感謝してあげなきゃですよね。

やたらと難しい横文字ばっかり並べて、
何だかよくわからない言葉ばかりのブログが多い中で、
阿部さんの所に来るとほっとします。

さあ、お茶しよ~!
Posted by flower deer at 2009年01月14日 14:52
阿部さん★

夕べの「いまここ塾」でこのお話を聞いた時、
涙がポロポロ出てきた私ですが
阿部さんの温かいまなざしに見送られての帰り道、
(いや、ホントはドア出る時にちょっと目が合って黙礼しただけです)
車を運転しながら、ワンワン大泣きしている自分がいました。

子供のように声を上げて泣きながら、
「そうだったんだ~!!」」とか叫びながら、
涙で前は良く見えなくなるし・・・危なすぎますね・・・。

何度も聞いてはいたことだけど、この「そうだったんだ」は、
深いところから涙と一緒に湧き上がってきます。
ただただ素直に受け入れよう、と思ったらフィルターが開いて
阿部さんの言葉が、涙を生み出すどこか心の深い場所まで
届いた気がします。

なにか神秘的な体験をしたわけではありませんが
今日は、私も光エネルギーの宇宙大のタペストリーの一部で
全部とつながっていて完璧だったんだ~と思うと
やたらに愛を感じ、ずっと心が喜んでいました。

ありがとうございます。
Posted by Millie(みりい)Millie(みりい) at 2009年01月14日 15:14
ウヒョー、、きのうの「いまここ塾」と同じ話だアー!!!

ひさしぶりに参加しました、きのうの阿部さんは情熱的に

実に直球を投げてましたね。藤川球児の剛球より迫力ありましたよ。

大切な気づきをありがとうございます。
Posted by スナックふれあい at 2009年01月14日 15:49
こんにちは。きょうもおじゃましています。
阿部さんのおっしゃっていることよくわかります。

けれどもyはりどこかで
>このままではよくない

というものが頭をだしはじめます。
それが向上心などにつながるのではないでしょうか。

自分のことはきらいじゃないですよ。
また自分の周りにいる家族も愛しています。
これだけは確かです。

私はやはりどこかで完璧をもとめているのかもしれませんね。

阿部さんのいう話を聞いているとかなり気持ちが楽になります。
そしてさらさらと時間も何もかもが水のように流れているのをかんじます。
生きていることにも改めて感謝をしたくなります。

悟ろうと努力するのは現在の自分を嫌っているからではなく、戻るたび・・・
つまり真の自分にであいたいからなのです。
それは潜在意識の中なのかもしれないし、直観なのかもしれない。
私はそういう声を聞きたいから研ぎ澄まされたいから努力をするのだとおもいます。
Posted by 愛花 at 2009年01月14日 15:56
こんにちは~(*^_^*)
今日のお話は、とてもよく解りました♪
Posted by さっち at 2009年01月14日 17:30
心穏やかで、精神が安定していると
知らぬ間にその感覚を続けよう、続けようとしている
自分が見えてきます。そのときの幸福な記憶を辿りだすようです。

こういうときは決まって・・・
穏やかな状態以外を否定しようとするエゴが存在します。
気づかないフリをしていると、かえって気持ちに無理が生じたり。

今日の阿部さんの言葉は、自分の深い部分で、学ぶ側の態度として
学ばせていただこうと思います。

いつも、本当にありがとうございます。
Posted by 渡辺 at 2009年01月14日 20:01
ずっと疑問に思っていたことが今日すっと霧が晴れたように解決しました。
おしゃれが好きで服がほしいと思うことは物欲?
美しいものを欲しいと思うことはいけないこと?
大好きなもののある部屋で暮らしたいと思うのは罪深いこと?

頭がこんがらがりそうな中で、「物欲をなくさないと」と必死になっていました。
仕事で成功したいと願うのは欲か?自己実現はエゴなのか?
こんなに欲深い自分は罪なのだと。夢を持つことさえもだめなのかなぁと。
ずっと悩んで苦しかったです。

だから今日のブログにはっとしました。
純粋に素敵なものを素敵だと思うこと。
自分の夢をかなえたいと思うこと。
そういう気持ちがあっても良いということ。
Posted by おさぼ at 2009年01月14日 21:10
そっか~、そのままでいいのか~。

仕事もなくて、グウタラしてんだけど~。

まっ、いっかぁ~。

あるがままで・・・いっかぁ~~。・・・・・・いいのかな? まっいっかぁ~~~。
Posted by 寅吉 at 2009年01月14日 22:40
安部パパ今日もありがとうございます(▼-▼*) エヘ♪

「あるがままを受け入れる」

パパから2年間そのことだけをひたすら伝授されてきて、
食う寝る遊ぶの娘もだんだんと本質が見えてきました。

「受け入れる」は凄く誤解されやすい言葉だと思います。
「口を開けてください」と言われれば誰でもできますけど、
「受け入れてください」と言われてもいまいちわからない。
受け入れることが簡単なら戦争も自殺もないですよね。
結局、人にとって受け入れることが難しい最大の理由は、
真の自分を「エゴ(自我)」と信じ込んでいるからでしょう?
あるがままを人生の状況やアイデンティティと見る限り、
どんなに受け入れようと「思った」ところで無理ですもん。

パパに瞑想を教わったことがとっても役に立ちましたよ。
受け入れようと努力しなくても(我慢であることが多い)、
思考を切り離すと自然と「受け入れて居る状態」になる。
もちろんそれで人生の状況は何ひとつ変わりませんが、
安らぎに満たされて自分の本質(神)が大好きになる。
エゴの虚像ではなく、目に見えない魂が愛おしくなる。
そのままでいいというより、このままでいたいと感じる。
そして、面白いもので内側の喜びを感じ取るに従って、
外側の人生の状況は勝手に喜ばしいものに変化する。

人間は2年で変わるものなんだなあ。

パパのスパルタ教育おそるべし(笑)

((*´∇`人´∇`*))) スリスリ♪
Posted by えり at 2009年01月14日 23:06
梅干しの種が口の中にあるのに、サプリを2粒飲もうとして、
種をよけたつもりが、サプリの1粒と梅干しの種を飲み込んでしまった!
こんなおバカな私でも、ありのままでOKなんですね。
そういえば、「バカボン」って、サンスクリット語で「悟った人」という意味だそうで。
今日もいろいろありました…(/_;)なこと。
それでも、ま、いっかぁ、「これでいいいのだ!」でいいのかな。
おいしいお茶を、ごちそうさまでした。(^^♪
 
Posted by てるね at 2009年01月15日 01:28
まさしく、そこで揺れ動いてきました。

世間的・宗教的に求められていると思い込んでいる理想と、
精神世界的に言われている「あるがまま」という現実との間で。

向上心をどう捉えるか?ということにも繋がると思うのですが、
向上心をベクトルとして考えると判りやすいのかな。

最初に打つ起点が現在の自分で、
理想の自分が矢印の終点だとすると、
現在の自分を否定していては起点にアンカーを打たないまま、
いたずらに矢印だけを走らせようとするようなもので、
どこまで行ってもズルズルと・・・
なんだか、どこか定まらない感じで。

他人のアドバイスが辛いなぁと感じてきたのも、
今のままの自分でいい、という肯定感や安らぎがないまま、
彼・彼女が言うようにならなきゃ・・・
(つまり、今の自分のままではダメなんだ・・・)
という否定の思い込みからスタートしたからなんでしょうね。
Posted by bee at 2009年01月15日 01:43
コメントありがとうございます。


めびうすさん

>どうしたら、そのままの自分でOKと思えるようになるんでしょう?
どうしたら、目覚めることができるんでしょう?
本当に自分の中に、聖人たちのような慈愛や高潔さがあるのでしょうか?



何事も完全にやろうという態度をやめたとき、安らぎが戻ってきます。

安らげば行動が優しくなります。

まずはリラックスすることが大切だと思います。


自分という存在は、自分の思考でも行動でもありません。

それらは単なるパターンです。

自分を許し、優しくしてあげることから始めたらいいと思います。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2009年01月15日 02:42
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません