2008年07月25日

非難と称賛

人から自分を非難されるのは辛いものですよね。

僕たちはそうならないようにと、他者の目をうかがいながら、なるべく安全で無難な行動をとろうとします。

少しでもいい人を演じ、自分の内なる声を無視して、周囲に合わせた生き方を始めてしまうのです。


結婚や、離婚や、職業の選択や、小さな意見でさえ、自分の本当の声ではなく、人の評価を基準に決められたりもします。


しかし、人の非難や称賛とはいったい何でしょうか。


非難したその人は、あなたの何を知っているというのでしょう。

あなた自身でさえ自分のことがわからないのに、他者にわかるわけがありません。


他者が知っているのは、その人の中にある自分の価値観です。

あなたのその瞬間の行動が、相手の価値観に合っていれば褒められ、外れていれば非難されます。


したがって他者の自分に対する評価は、自分自身のことではなく、その相手の心の中の反応にすぎないのです。


それを徹底的に理解できれば、人の評価に一喜一憂することがなくなり、真に自分自身を生きることができます。



この世の出来事は表面的なことばかりであり、自分の最奥にある本当の自己は不動のまま「いまここ」にあり続けます。

それが瞑想によって達成できる不動心です。


僕はまだその域に達していませんが、その香りだけはわかるようになりました。


非難と称賛


今日は、とある禅僧にまつわる話を紹介しましょう。

不動なるものを達成した人がどのようであるのか、象徴的なエピソードです。



その彼は村で評判の聖者でした。

しかも見た目にも美しく、多くの人の礼拝の対象になり、彼のためにお堂が築かれ、毎日のように供え物が届けられました。


そんなある日、村の長者の娘が身ごもってしまいました。

いくら尋ねても決して相手の名を明かしません。


怒った娘の父親は、娘を座敷牢に閉じ込め、ろくな食事も与えずに、毎日のように責め立てました。


そのあまりの辛さに、ついに娘は相手の名を告げました。

それはなんと、あの美しい禅僧だったのです。


その噂はあっという間に村中に広がりました。

村人たちは騙されたと言って、お堂を取り壊してしまいました。

もちろん供え物も途絶えました。


口々に詐欺師呼ばわりされたその禅僧は何一つ言い訳をしませんでした。


やがて子供が生まれると、長者はその赤ん坊を娘から引き離し、路上で暮らしていた禅僧に押し付けて言いました。

「お前の子なんだから、お前が育てろ」


禅僧はただ一言「わかりました」と言うと、赤ん坊を抱いて村の家々を回りながら、ミルクの施しを求めました。

「私のことはかまいません。この子に何か飲ませてあげてください」

しかし村人はみんな無視をして、誰ひとり助けてはくれません。

それどころか、窓越しに口汚く罵るばかりです。


どの家でも同じような扱いを受けた彼は、空腹で泣き叫ぶ赤ん坊を抱いて長者の家の前に立ちました。


赤ん坊の泣き声が娘の耳に届きました。

すると娘は泣き崩れながら本当のことを告白しました。


「父親はあの人ではありません。隣村の○○さんです」


それは長者とは商売敵の息子で、絶対に会ってはならないと決められた相手でした。



それを隠すために、僧の名を語ったのです。



その話も瞬く間に村中に知れ渡り、またしても僧に対する評価が一変しました。

村人たちは彼の足もとにひれ伏して許しを請いました。

長者も赤ん坊を引き取ると、無礼の数々を深く詫びました。


すると聖者は一言こう言いました。

「わかりました」


外側で何が起きていても、彼は何一つ変わることなく、ただ最善を尽くそうとしたのです。



人の評価は外側の現象に対するものです。

ある時はあなたを称賛し、ある時はあなたを非難しますが、どちらも本当のあなたに対して言っているのではありません。


時間と共に過ぎ去る束の間の現象が、人々の評価の対象です。

本当のあなたは、その向こう側に、時間を超えた不変なるものとして存在しているのです。



自分もそんな人でありたいと思います。




今日もここに来てくれてありがとうございました。





何かを感じてくれたら押してください。

非難と称賛   非難と称賛



Posted by Toshiro Abe at 10:00│Comments(13)
この記事へのコメント
阿部さんが 達していないなんて~
ご謙遜でしょうが
私も そんな人に 
少しでも近づきたいです。
心強いメッセージ 
ありがとうございます。 
Posted by kayoko at 2008年07月25日 10:23
今日も何てわかりやすい。

上司に認められようと頑張っても頑張っても、
軽視され続けた友人が“うつ”になりました。

もともと優秀な人だけに、自信を取り戻してほしいし、
私はいっしょうけんめい聞き役を務めています。

もし彼が、上司に認められるためでなく、
自分の自己実現のために頑張っていたら。

「他人軸」は意のままには動かせないけど、
「自分軸」は自分で決められますもんね。

私の周囲にもいろんな風が吹きますが、なるべく意に介さず、
己の心の赴くところのみに従って動きたいと思っています。
Posted by なちゅき at 2008年07月25日 10:43
人にどう思われるか、で行動することあります。
非難されたくないし、良く思われたいから。
自分は今、本当はどうしたいのか、
気持に正直に生きたい。
人に影響されない、変わらない自分で、
最善を尽くして生きる。
そんな人でありたいと思います。(^^♪
Posted by てるね at 2008年07月25日 10:56
今日も ありがとうございました。

わたしもそんなひとでありたいと思いました。
Posted by のいちご at 2008年07月25日 10:56
心に響きました。
今日も素敵な記事ありがとうございました。
Posted by さくら at 2008年07月25日 11:03
いやあー、いい話ですね、阿部さん。

他人の評言を意に介すことなく最善を尽くす。

いまある出来事に心をこめる、あるいは没頭すること、そんな姿勢を感じました。

私も、そのような僧侶になりたいです。


よし、とりあえず、うっとうしい髪の毛を丸刈りにして、

トレードマークのひげをそります。
Posted by スナックふれあい at 2008年07月25日 12:56
なぜかこのお話に涙が出ました。
この僧は美しいですね。
Posted by meg at 2008年07月25日 16:28
えーここ2・3日書き込んでは見たものの・・余りに高尚過ぎる本文に、
   自身の力不足を嘆き、思わず筆を置いてしまいました(笑)、・・

   「切り込む余地がないのです、隙が見当たりません、・・」
   「朝霧の中に、剣の道を極めた、武蔵の姿が浮かびました、・・・」

            (えー阿部さん、ツカミネタこんなもんでどーでしょう・・)


 とかくこの国は、ヒローをまつり立て、方や悪人となると手の平返しにだ、
 これぞと言わんばかりの集中攻撃の雨アラレ、・・国民こぞって、
 「国民自から悪人を求め、社会や日頃の自身のストレス解消をしておる・」
 千昌夫の名言を思いだすね~、「俺は国民のオモチャではない!・・」


 「称賛」は時に、周囲の何がしからの思惑が見え隠れします、・・
 「非難」は、往々に自身の背中の映す真実の鏡だったりもします、・・
 「称賛はハシゴを上れと、方や非難は降りなさいとの進言でしょうか?・」
 「まーどちらも危険・・周りをよく見ながら注意を怠るな、・・」でしょうか・・


で、ここから本題、・・その長者、大地主の「山本家」ですねー?・・

  外国のお人形さん見たいな顔をなされたそこの娘、確か名を・・
  「モナミ」ですねー!・・はい、間違いありません・・
  しかしー弱りました~子供の男親捜しですかー?・・

  「今までの全員、聴き取り調査・・ですとー、・・」

             (す、すみません、・・・半年ほどお時間を下さい、・・・)

   
  


















    
  
Posted by いわし雲。 at 2008年07月25日 16:33
>外側で何が起きていても、彼は何一つ変わることなく、ただ最善を尽くそう  としたのです。
>ある時はあなたを称賛し、ある時はあなたを非難しますが、どちらも本当の  あなたに対して言っているのではありません。
>本当のあなたは、その向こう側に、時間を超えた不変なるものとして存在し  ているのです。

このフレーズをいただきました。
こんな自分でありたい と念ずること切なり です。
Posted by 子馬竹 at 2008年07月25日 20:13
他人の評価や自分の見栄にこだわらず、ただ無心に最善を尽くすだけ・・・
難しそうですけど・・・練習すれば、本当は簡単かも知れませんね。
『無我』・・やっぱり簡単では無いです!

 本当の私は、阿部さんが「わかりました」と言って、先日のお母様の米寿コンサートの模様をもっと、写真もたくさん掲載して たっぷり詳しく報告してくれることを期待しています。

 (今日か明日か?と毎日覗いているんですけど・・)
Posted by katabui at 2008年07月25日 20:23
私は今まで、現実はあなたの心次第で変えられる、心を良くしていれば悪い事は起こらない、人間関係が悪いのなら自分の心を変えろなどという言葉を真剣に信じ、またテクニックなども使って自分には嫌な事が起こらないようにそればかり考えて生きてきました。

ところが事態は(自分にとって)良くなるどころかじわじわと自分を苦しめる方向へ進むではありませんか。

今までずっと悪い事が起こらないように気をつけていたはずなのにどういうことだ!次第に私は”瞑想”という言葉を頻繁に目にするようになります。いまここにいることと私を苦しめる出来事はどう関係してくるの?あるがままに見るとはどういうこと?判断しないとは?良いも悪いもないって?色々な疑問が頭をぐるぐるしています。

でも何かで読んだ、重要なことは結果を求めることではなく結果を受け入れる事という言葉。物事はそのように起きただけで自分が起こしているわけではない、自分のせいではないという阿部さんの言葉。

今まで自分を支配してきた考え方とは逆のこの言葉達を採用し、瞑想しながら半ば開き直りのような気持ちで流れに身を任せるしかないのかなと思っています。
Posted by さとし at 2008年07月25日 21:20
この村人のように「賞賛」して「非難」したことがあります。

胸が痛くなりました。

その後、かの人と和解することができました。

「いつかわかる」

その人はそういう気持ちでじっと耐えていたようです。

泥沼から咲く蓮のように、その人の在り方は美しかったです。
Posted by 花畑 at 2008年09月17日 23:08
非難と称賛
何度も繰り返し読んでいますが、とても素敵です
今の状況から救われ、優しい気持ちを取り戻す事が出来ました

ありがとうございます
Posted by もぐ at 2009年07月24日 17:34
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