2007年10月05日

沖縄と日本 2

沖縄と日本 2


関連記事をどれくらい書いたかな。

ワープロで30枚以上は書いた。


この2日間、ほとんど寝ていない。



でもその文章は結局ここには載せられない。

読み直してみると載せられなくなってしまうんだ。



ごらんのようにたくさんの心あるコメントをもらった。

それ以外にも多くのメールも頂いた。



それらを読んでの感想は、沖縄に横たわる問題は、現象的な出来事(米軍基地など)と同じだけ、心の底に渦巻く精神的なものも大きいということだ。

それはどこかで知ってはいたが、僕の想像をはるかに上回るように思えてきた。


でもそれは通常表に出てこない。

それは沖縄の人たちの優しさの奥に隠れていたり、どうせナイチャーに言ってもわからないというあきらめがあったり、言葉を超えた積年の恨みだ。


まずは、普通の人達がそこまでの気持ちを持つに至った様々な出来事を知らなければならない。


それは戦争であり、差別であり、裏切りであり、無関心であり・・・


こうやって書いているだけで泣けてくる。


僕が知る素朴で温かい人たちが、どんな気持ちでそれを生きてきたかと思うからだ。




僕自身も引っ越してくるまでは、沖縄問題への関心は薄かった。


数年前、60代の沖縄男性が車で僕を家まで送ってくれる道すがら、戦争中に沖縄の人たちがどのような目にあったのか詳しく話してくれた。

僕はずいぶんお酒も入っていたが、その内容があまりにも惨たらしく、それを聞きながら、助手席のガラス窓に頭をつけてずっと泣いていた。

人間の愚かさと、生きることの悲しさが、涙となってとめどなく流れた。


内地の人間が沖縄で暮らすということの意味を、初めて知った夜だった。





さて、ここから僕が話すことは、もしかしたら触れてはいけないことなのかもしれない。

お前もか!と言われるかもしれない。


でもこれだけはわかって欲しい。

僕はあなたの敵じゃない。




今回の県民大会があったとき、最初に不思議に思った事があった。

それは集団自決に関することで、大江健三郎氏の有名な「沖縄ノート」の訴訟問題。

曽野綾子さんが渡嘉敷島の集団自決を取材した「ある神話の風景」

また、産経新聞の取材に応じた、旧琉球政府で戦争遺族の方々の救援業務に携わっていた照屋昇雄さんの証言


この人たちが語っているのは、当初渡嘉敷の集団自決を軍令だったと証言したのは、軍令にしないと遺族に年金や救済金が渡らないから、彼らを救済するために軍関係者に嘘の証言を依頼したというものだ。


僕はこれらのことを頭から信じていたので、今回の県民大会に違和感を持ってしまったのだ。


僕は本当の事が知りたくて、県民大会を盛り上げる立場だった人に、メールで事の真偽を尋ねてみた。


返ってきた答えは「真実を追究する必要はない。日本兵は酷い事をした。以上」だった。


この記事を読んだ人で、僕の言っている事が浅い知識に過ぎないという反論があったら、ぜひ教えて欲しい。

僕は本当の事が知りたい。


もし政府関係者や知識人たちが、今の僕と同じような結論を持っていたとしたら、今回のこの県民大会が、「また沖縄が騒いで真実を歪曲しようとしている」と取られかねない。

そういう気持ちを持ったまま、黙らせるために、表面的には教科書記述を書き換えたとしても、それはさらなる沖縄への侮辱だと思う。

それはとても残念な結果だ。



ネット上で検索してみると、今回の県民大会に対する様々な意見がある事が分かる。

朝日新聞と産経新聞のいつもながらの対決は、それを浮き彫りにしている。

大会への参加人数も実際には主催者側発表の半分以下だというのだ。



またある人は、左派勢力による政治的先導の結果だと言い切る。

でもそれはあまりにも短絡的な意見だ。


そこに集まった人たちは知性のある人たちで、なぜそこまで足を運んだのか、その背景には言葉を超えた沖縄の悲痛な叫びがあるからだ。


沖縄の実体を知ろうともしないで、匿名の無責任な発言が横行しているのもまたネット社会だ。



県が一丸となって大きな大会を開いた背景には、ここまで声を大にしないと、政府も国民も、沖縄に対して関心を持ってくれないという現実があると思う。


負担と苦痛だけを強いてきた当事者達が、いつも無関心でいることへのやり場のない無念さが底辺に流れているように思う。


琉球王国の歴史から、戦争に巻き込まれた経緯、さらには地上戦での人々の想像を絶する苦しみ、戦争は絶対にいけないとそれだけを主張し続けるお年寄り達。

実際に起きた戦争の残酷さは、僕らの想像が到底及ぶことのないものだろう。



それを考えた時には、集団自決の真相など、誤差のようなものに見えてくる。


同じ日本人として、沖縄の人の心の底に流れる、日本への恨みや不信感を全部聞かせてもらうべきではないか。

そして沖縄がいまだに抱える問題を、自分のこととして真剣に取り組んだとき、初めて癒されるものがあるのではないか。





僕ごときが立ち入る問題ではなかったことは重々承知しています。

ここに書けなかった事もあって、全体として取りとめのない文章になってしまいましたが、僕の真意を少しでも汲み取ってもらえたら幸いです。


また多くの沖縄の仲間たちが僕を心配して、これ以上の発言を控えるようにアドバイスしてくれたことを、心から感謝します。






Posted by Toshiro Abe at 10:21│Comments(22)
この記事へのコメント
 阿部さん、どうもありがとうございます。…どれほど沖縄と日本の溝を埋めようとしているのか、ちゃんと通じました。思えば、内地でどんなにひどいあつかいをされても、内地の人はこんな人ばかりではない…と、頑張って来れたのは思春期のうちにラジオで阿部さんの放送を聴いていたからだと常々思っていました。沖縄の人は、捨てられた犬や猫のようにどんなに可愛がっても過去のトラウマから人間を百パーセント信じられないようになってしまいますが、私たちは人間です、だからきっといつか、溝も埋まるでしょう、(*^_^*)今日は少し休んでください。
Posted by パラミタ at 2007年10月05日 10:54
こんにちは~!(^0^)/

とてもデリケートな問題をまじめに考えて素直な意見を述べる

凄く勇気が必要ですねぇ・・・偉いと思いました!今だからこそ

真実を探り知る必要があるのにテレビでは下らないゴシップで

消されて行きます・・・もう少し皆で真剣に考える必要がありますねぇ~!

私も私なりに考え調べてみようと思いました!有り難うございます
Posted by シャチ165 at 2007年10月05日 11:29
阿部さん、こんにちは。
いつもはブログを読ませていただいているだけでしたが、
今日はコメントをしたい衝動に駆られるので、書きます。

私は内地から沖縄に来て、3年と少し経つ者です。
仕事柄、戦争体験者の方々と接する機会が多く、
その時の体験を聴いたりすることがあります。
そして、戦争を体験していない年代の方々でも、
”ナイチャー”に対する何かしらの先入観を持った方々が多いことを感じます。
自分なりに沖縄の歴史について調べていると、
人々がこれまで感じた痛みや苦しみだけでなく、
今、沖縄にいる私をも受け入れてくれようとしている周囲の人々の懐の深さも感じて、
自然に涙が出ました。

戦争時の体験については、
「アメリカ(兵)は優しかった」
と言う方もいれば、
「日本兵は優しかった」
と言って、今だにその方の名前と出身地をしっかり覚えておられる方もいます。
過去を知ることは大切ですが、
細かな良い、悪いという検証や、
その意味づけは必要ないのかもしれないと思います。
過去は変えられないですし、
その出来事に対する人の考え方も千差万別、
過去があるから今がある、
それなら今をどうするのか、
ということの方が大切に思えてなりません。
私は正直なところ、政治には期待していません。
これまでのいろんな歴史を見ていても、
千差万別の人々を、法律や規則でひとつにまとめる事は到底無理なように感じているからです。
ただ、人同士が直接向かい合うことで変わることはできると思います。
実際、心を開いてお互いの本音をぶつけ合うことで、
変わってきた人達(自分を含めて)を見てきました。

昨日ふと見つけた言葉があります。
"Think globally, act locally"
これまで人々が見ないでいいように蓋をしてきた事を、
阿部さんのように、
声を上げて発信すること、
そして、
日々の生活で人を分類することなくお互いを認め、受け入れる事、
それが必要な時代になってきたんだろうと、ふと感じました。

最近、見知らぬ人に
「あんた、うちなーんちゅね?」
と言われることがあります。
それが素直に、とっても嬉しいです。
だから、日々できることを、
私なりに、やっていきたいと感じています。
長文、失礼いたしました。
Posted by ぴょんママ at 2007年10月05日 13:10
阿部さん、関連記事30枚も読みたくなりました。霞ヶ関のエライ方たちにも、ココに来てほしいと思います。やっぱし阿部さんは、すごいです。いつの日か金バッチを就けてほしいと思うのは私だけでかな~・・・今日は2日分の休養たっぷりとってください。
Posted by むかしラジオ少女 at 2007年10月05日 13:10
阿部さん、
真実が不透明でしたら。。。中立的な立場で事実を見る意味で
県民大会へ参加なされた方が良かったと思います。
それがウチナーンチュとヤマトンチュの溝を埋める、第一歩のコミュニケーションであったと思うからです。

壕の中で亡くなった方々は、アメリカ軍の爆撃で死んだのではなく
日本軍の手榴弾で死んだのです。
それは事実で、事実は消せません。

真実が何であったのかは分りませんが。。。
Posted by まねきねこ☆ at 2007年10月05日 14:02
こんにちは
いつもブログを拝見しています


私は沖縄の歴史については何も知りません
ただ、今から30年以上も前、私が高校生だったころ
世界史の先生が言った言葉を今でも時々思い出します
その先生はこんな風に言いました

「沖縄は日本ではありません」
「沖縄の人達は日本人ではありません」

これだけ見るとちょっと驚くでしょう?
でも、つづけて彼は言いました

「沖縄は琉球という国です」
「沖縄に住んでいるのは誇りある琉球民族です」
「本当は沖縄は独立するべきであった」

先生の言葉は、私の心の中に深く深く沈んでいきました

数年後、オリンピックの表彰台で黒人選手が硬く握ったこぶしを突き出し、無言で人種差別への抗議と自分たちの誇りを示した時
先生の言葉は胸の奥から甦ってきました
以来たびたびその言葉は私の中で反芻され続けてきました

誰でも、自分の存在が否定されたり軽んじられて怒らない人間はいないし、また誰であれ存在を否定したり差別したりするべきでない
ずっとこんな風に考えていました
先生の言葉は私の中にそんなこだわりを植えつけたのです

でも、最近なんだかこの考えに違和感を覚えます
たとえば自分が否定されたと感じた時
たとえば自分が傷つけられたと感じた時
ずっと前の自分は相手を恨んだでしょう
ちょっと前の自分は相手を許そうと努力しました
今は、、、
今は、いったい誰が否定したのか
いったい誰が傷つけたのか
考えてしまいます
本当に自分を否定したり、傷つけようとした他人がいたのかどうか

最近は、こういう被害者的な考えに陥った時
別の自分がこんなこと言うんですよ
「あれっ?私いま嵌められてない?」
誰にはめられるかっていうと
当然、自分自身です
Posted by な~お at 2007年10月05日 15:17
二度目の書き込みになります。
私は大学生で、修学旅行生の平和学習のお手伝いをしたりしているので、この記事には是非私見をコメントさせて頂きたいと思いました。
渡嘉敷島の「集団自決」については、軍命がなかったのかもしれないと思います。
ただ、「集団自決」が起こったのは渡嘉敷島だけではなく、様々な形で様々な場所で起こっています。
そして、軍命のあるなしという単純構造ではない事実が幾つもあります。
しかし教科書裁判や今回の検定意見では、渡嘉敷島の「集団自決」という1件だけを取り上げて、沖縄戦全体における「集団自決」を語ろうとしています。
今回の教科書問題に関する県民大会は、渡嘉敷島の件の真偽に拠って、沖縄戦全体を語ろうとする風潮を阻止しようという動きもありました。
すでにご存知かもしれませんが、阿部さんにはぜひそのような背景も知っていて欲しくて書きました。

あと、個人的な意見ですが、戦争における細々した事実はいくらでも多種多様に出てきます。だから、人の命を奪うという事そのものがどんな理由があっても許されない事だと、全ての人が本気で言えるようにならないと、戦争はなくならないし戦争によってついた傷も癒えないと思います。

沖縄と日本という構造とは別の所で、私はそんな風に考えています。
Posted by あさ at 2007年10月05日 16:20
ありがとう。。
とても、とても 勇気がいることだと 思う。
沖縄の方々の 深いやり場のない悲しみを見過ごせない現実があるんだね。。
みんなしあわせで在って欲しいよね、、根深く封じ込められた悲しみは・・辛い。。
様々な意見があると思うけど 阿部ちゃんが信じた道に間違いはないよ。
みんなのしあわせから発せられた 愛に満ちた発言だから。
いつも 応援しています。。
Posted by のいちご at 2007年10月05日 18:05
コメントありがとうございます。


みなさんにレスしたいんですが、時間の関係でお一人にします。


あささんへ

集団自決は各地で起きました。

沖縄だけでなく満州開拓団のそれも、規模的にも内容も悲惨を極めるものです。

なぜ渡嘉敷のことだけがクローズアップされるかというと、そもそも「軍令によっての集団自決」という話が生まれたのが、渡嘉敷島のことだったからです。

その証拠とされたのは、昭和25年に発刊された一冊の本です。

そしていま、その本の内容の真偽が問われているのです。



>軍命のあるなしという単純構造ではない事実が幾つもあります。

しかし教科書裁判や今回の検定意見では、渡嘉敷島の「集団自決」という1件だけを取り上げて、沖縄戦全体における「集団自決」を語ろうとしています。

今回の教科書問題に関する県民大会は、渡嘉敷島の件の真偽に拠って、沖縄戦全体を語ろうとする風潮を阻止しようという動きもありました。




このことは極めて重要なポイントだと思います。

そもそもこの問題は、集団自決が軍令であったかどうかを判断し、教科書に軍令の記述を載せるか否かの話です。

そのための大会として組織され、それが報道されています。


どのような複線があっても、その大会のテーマの信憑性が脆くなると、その評価は地に落ちてしまいます。


僕が危惧するのはこの部分なのです。


僕なりに沖縄の人たちの危惧するところや憤りはよくわかります。
それは今日の記事に書いたとおりです。


そしておそらくこの大会は目標を達成するでしょう。

沖縄の人の声に圧倒された政府が、事なかれ主義的に妥協するからです。

でもそこには理解と反省はありません。

むしろ虚偽の事実を突きつけ、国益に結び付けようとする近隣諸国と同じようなレベルで、沖縄を捉えてしまうでしょう。


僕はそれが悔しいのです。



コメントありがとうございました。
Posted by Toshiro Abe at 2007年10月05日 18:35
すごい! ですね。 一人一人の見方や意見があって 皆さんの温かさや優しさも伝わるメッセージで 意見対立的な言葉ではないのが素直にうれしいです。
ありがとうございました
言葉で伝えるのは 本当に難しいです。 伝える側はそうでなくても 受け取る側が傷ついたり…。
伝える側の阿部さんが 逆に 受け取る側の反応で 傷つく場合もありますよね。だから無理して発表しなくていいと思いました。
毎日 皆のために たくさんのメッセージをありがとうございます。 これからも 阿部さん目線のメッセージを楽しみにしています ('-^*)/
Posted by きらら at 2007年10月05日 18:45
阿部さ〜ん☆
もうそろそろ私もコメントしていいですか?(笑)


阿部さ〜ん☆ )^o^(
だいじょうぶ?疲れてませんか?あんまり疲れないでね(^-^) 

阿部さん☆大好き
(^ε^)-☆Chu!!



不適切なら削除して下さい☆
Posted by ウラノス☆ at 2007年10月05日 20:37
阿部さん
 
 だから・・戦争は、あってはいけないのです。
Posted by こでまり at 2007年10月05日 20:47
県民大会に参加した多く人の思いは、恨みや悲しみではなくて
平和への願いです。

戦争を体験してきた、おじぃやおばぁの口からこぼれる
「命どぅ宝」の言葉は深く重い意味があります。

子や孫に二度と悲惨な戦争を体験して欲しくないのです

個々としての日本人に対しての恨みとか悲しみではないのです
戦争という出来事に対しての恨み・悲しみなのです。
そのことを忘れて、日本国が戦争に向かって行くのではないかと危惧しているのです。

私にも中二になる息子がいます
その子が大人になる時、日本がどんな国になっているのか不安でいっぱいです。
Posted by まねきねこ☆ at 2007年10月05日 21:48
阿部さん私は沖縄に移住して12年になります。
職場は中城で営業車でよくラジオ聞いていました。

今回 阿部さんの感じたことを沖縄の人に伝えたい一人です。

去年 産経新聞に照屋昇雄さんの 記事が掲載されたとき
赤松さんのことが沖縄タイムス・琉球新報に掲載され真実が
報道されると思っていましたが 
この裁判の真実が明らかにならないばかりでなく
教科書問題が出てくるとまるで集団自決がなかったと
教科書検定で書かれていると
報道されてしまい この事実が葬られようとしています。
集団自決は確かにあったのですが日本軍が
関与しているという根拠が沖縄の照屋さんから無かったと
真実が明らかになったのにみんな知りません。

でも沖縄の人が悪いわけではなく新聞の報道のあり方に問題があると思います。

これが県民の総意と思われることがおかしいと感じています。
あささんが書いていますがそれを知った上の報道が沖縄ではないのです。

自衛隊の話ですが沖縄ではあまりよい印象がありません。
那覇ハーリーでは自衛隊では参加できないので別の名前で参加します。

でも 患者の緊急輸送で台風の影響で民間のヘリが飛ばせないとき自衛隊の飛行機が出動し過去に何回か墜落し自衛隊の方が亡くなったことをみんな知りません。
離島が多い島だからこそそういう事実を知らないといけないと思うのですが

報道しないから知らないんです。

もうすこし真実を報道してほしい。公平な報道で・・・・・・・・・
Posted by rz250kai at 2007年10月05日 22:24
>まねきねこ☆さん

いつもありがとう。

政府関係者も含めて、平和への願いを持っていない人はいないと思います。

この問題は複雑にして根が深いというのが今の実感です。


>rz250kaiさん

いきなり核心を突いてきましたね。

近い将来、地球規模で世の中がひっくり返るような変化が起きると思っています。

それは世論を支配してきた、既存の権力の終焉です。
Posted by Toshiro Abe at 2007年10月05日 23:25
  
 阿部さん、昨日今日のブログの盛り上がり様は
 
 まるで・・・阿部さんには、沖縄の家族が5000人(1000人程は、内地で生活してますが・・・)いるような感じがしました。
 
 上から1050番目くらいの兄貴に相当する阿部さんが、白熱した家族会議の終盤頃になって そーっと手を挙げて、

 『みんなの気持ちはよくわかるけど、僕は冷静に別の角度から見ればもっと大切な何かが見えるような気がするんだけど・・・』
 と 発言したものだから、

 母 「やめなさい!敏郎っ 何を言い出すの!・・・」

 580男 「敏郎がギターとか弾いている間に・・・兄さんたちがどんな苦労を       したのか分からないのか!」

 930女 「待って!・・・私は 敏郎兄さんの言ってること・・・少しわかる様な      気もする・・・」

 210女 「何も知らないくせに・・・勝手なこと言わないの!」

 多数の意見と少数の意見が対立したまま時間が過ぎた頃・・・

 父 『まぁ、まぁ・・・他人じゃ無くて兄弟同士の話合い、みんな悪意は無いの    だから・・・声を荒げないで、お互いの話をよく聞く事から始めなさい。』

 長男 「だっからよ~・・・」

 敏郎 『なんでかねぇ~』

 父 『感情が高ぶると、言葉は伝わらないし・・・ましてや文字では正反対の    意味に誤解されてしまったりする・・・耳が痛い話、納得できない話でも
    、その言葉に(思いやり)と(愛)を感じたら、家族の話だから、本当に伝    えたい意味を読み取りなさい。』

 5000男 『だっからよ~』


   こんな感じですよね。

 

 
 
Posted by katabui at 2007年10月06日 00:56
もういちどコメントさせてください

まねきねこ☆さんの

>壕の中で亡くなった方々は、アメリカ軍の爆撃で死んだのではなく
>日本軍の手榴弾で死んだのです。
>それは事実で、事実は消せません。
>真実が何であったのかは分りませんが。。。

しかし真実を知らなければ 逆に渡嘉敷島の人をかばった赤松隊長が浮かばれません。すべての責任を25歳の若さで背負ったんですよ死ぬまで。

渡嘉敷島での慰霊祭のときは 県民から人殺しとののしられ那覇まで来て渡嘉敷まで渡れなかったそうです。そのときは渡嘉敷の人と赤松さんしか真実がわからなかったから

でも今はその事実が裁判で明らかになろうとしてますが 多分 うちなんちゅーはほとんど今回の件は まねきねこ☆さんの意見と同じだと思います。

しらないから調べてないから・・

集団自決はあったんです。300人の人が自決したのも事実です。

悲惨な出来事であったことは事実ですが今回渡嘉敷での集団自決が軍名であったか無かったこれが問題になっていることなんです。



それをわからないように誘導しているのがおかしいと思います。

私のまわりのひとは照屋さんのことや証言した宮城さんのこと赤松さんのことみんな知らないです。




>それは世論を支配してきた、既存の権力の終焉です。


わたしもそれは感じています。
いままでは一方的に流される情報で判断していたことを
おかしいとすこしでも感じたとき自分で調べ判断できる時代が来たとおもいます。


真実がどこにあるか 私なりに今回の件も考察してみました。

照屋さん・金城さんがうその証言をしたとしてもメリットが何も無く逆に県民から非難を浴びることしかない中での証言です。

非常に勇気のいることだと感じました。

テレビで報道される内容が一方的で視聴者に判断させる中立的な意見ではなく決め付けるキャスターの言葉がすべてではないとおもいますが。

http://jp.youtube.com/watch?v=1S-aZzzt4Mw&NR=1
Posted by rz250kai at 2007年10月06日 02:58
わん(僕)の感じることに今のうちなぁーの意識力低下が報いとなっている気がするさぁ~。わん(僕)は、橋本総理の頃から強く感じているyamatoと沖縄の関係。うちなぁ~が琉球国700年余で植民地化され崩壊させられる頃の歴史的背景で実質的な行政の最高責任者である三司官の方々が首を縦に振らず殺された事。行政のかけ引きは良く知らないがわん(僕)がその頃の三司官であるなら同じく首を縦に振らないと思うさぁ。
何故ならこの国を誇りに思うし愛しているから。

中国が竜球と名づけたのは、沖縄の地形を見ると竜が球を持っている形に見えたからと言う説があるそうですが、琉球と言う意味は、地球を包むと言う意味であることをわん(僕)は、先祖に聞かされてから,守礼の邦というコンセプトは、わん(僕)的には、地球同胞愛と解釈するようになっています。

こういうことを書くと誤解を受けるかもしれないが、コレまでの歴史での恨みつらみの事実有るかもしれないが琉球は地球を包むと言う同胞愛が根本にあることを今のわったーうちなぁーんちゅは、忘れてないか?とも思うのです。

人間は経験体験から過去の過ちに気づき未来に役立てる思考になっていく進化のパターンで歩んでいますね。
人それぞれ話し合い理解をし、歩み合いながら平和的に行きたいのが地球に住む住人達の願いだと考えています。

今、問題の教科書検定の議論は世論が歴史的に事実とした根拠を持って納得いくように解決すればよい事であると思います。

ただ沖縄の県民感情という背景には、かって国として存在した琉球という歴史の思いからくるものも含まれているハズで、
ならば未来に向うために国レベルに意識を切り替え,かっての国としての独立精神も蘇らし依存ではなく自立共存するために大和と交流していけるように,はたまた本気で国として独立し共存する気持ち意識のスイッチを行政担当者達は啓蒙していかなければと思います。日本国政府もそれを望んでいるのではないですかねホントのところ。植民地化されたという意識は捨てて共存するにはどうしていけるかが全ての過去の歴史で学んだ地球同胞思考も大切な選択肢ではないかとわん(僕)は、思います。

今の進化していく時代は、人工衛星で宇宙から地球が見えるようになっているわけだから皆同じ地球に住む同胞なんだなと、理解できるでしょう。理想だった意識がわかる時代に移行してきたのだと考えられないものでしょうか.
Posted by カレ・ドーニャ at 2007年10月06日 12:12
「それは戦争であり、差別であり、裏切りであり、無関心であり・・・こうやって書いているだけで泣けてくる」と書かれてあって、とても興味を持って読ませていただきました。私もヤマトンチュで沖縄に住んでいて、その溝の深さに愕然とさせられている者です。

でも少し記事に違和感も覚えたので衝動的にコメントします。(本当は、真面目な内容でブログにコメントするのは好きではありませんし、ほとんどしていません。署名入りでもありませんし、削除していただいても構いません)

沖縄ノートの訴訟問題、曽野綾子氏の「ある神話の風景」、産経の照屋昇雄氏の証言だけで、それを頭から信じて‥というのは少し乱暴かなと思います。極めて重いテーマなのですから、そこに踏み入って知ろうとするのなら、覚悟して、太平洋戦争に関する膨大な資料をかき集めるとか、自ら証言者の声を聴くといった努力が必要ではないかと思います(僕自身はそうした覚悟が定まっていないのろまな人間ですが)。「反論があったら、ぜひ教えて欲しい」というのは少し安易な気がします。

真実を追究する必要は絶対的にあると思います。しかし、その「真実」が今風に言えば広義と狭義で180度見方が違えられているということだと、僕は思っています。ある場所においては、直接命じられていなかったとしても、確かな軍命がそこにあったと僕は捉えています。ですから県民大会にも行きましたし、違和感は全く覚えませんでした。「誤差のようなもの」と書かれていますが、そこに真実が隠れているのではと思っています。
Posted by bumeko at 2007年10月06日 13:35
阿部さん、こんにちは。はじめまして。
今まではブログを拝見させていただくだけでしたが、初めて書き込みをしてみます。
私自身、自分の気持ちを書き込むということはしたことが無いので、すごく緊張します。だから、長い間、自分の気持ちを書き込む阿部さんや他のみなさんは、すごいと思います。
こんな私が勇気を出して書き込みをしようと思ったのは、やっぱり自分の意見を出すことは大事だと思ったからです。

阿部さんは真実を知りたいと書いていましたね。私も知りたいです。
真実は一つのはずなのに、どうしてこんなに色んな意見が出るのでしょうか。何年も修正されずにいた教科書が、今年になって、どうして修正させられたのでしょうか。単なる事実だけではなくて、その裏が知りたいです。
ただ撤回して終わりではなくて、なぜそういうことが起こったのか原因が知りたいです。
教科書検定の調査員ってどんな人なんでしょうか。軍の命令は無かったと主張する人たちがどんな人でどんな思想を持っている人なのかも知りたいです。

これまで、少しは自分でも本を読んだりしたつもりです。その中で感じてきたことは、「私が知らないところで世の中が動いている、関係ないように思えることもつながっているのではないか。」ということでした。

私は県民大会に参加しました。それは、みんなが行くからではなくて、自分自身が知る情報の中で判断して、自分の意志で参加したい考えたからです。一番怖いのは、「みんなが参加するから」や「先導されているようで嫌だから」ということで参加の是非を判断することだと思いました。

この一件を機会に、これからは一方的に流される報道に対してこれが真実だと信じるのではなくて、なぜ?どうして?この情報の裏には何かないのだろうか?という疑問を持って受け止めていこうと思いました。
それだけでも私の中では価値のある事柄だったと思います。

長くなってすみませんでした。
私も阿部さんの面倒なことになるかもしれないのに逃げずに見せた誠実な姿勢、見習います。
Posted by おむすび at 2007年10月06日 15:52
katabuiさん

面白かったから、そのまま話を広げてみました(^o^)


rz250kaiさん

僕も同じように考えています。

そして、そのことが十分に伝わらないジレンマも感じています。


カレ・ドーニャさん

貴重な意見をありがとうございました。

世界に向けて沖縄が平和のメッセンジャーになり影響を与えていくのであれば、今のままでは無理だと思います。

これだけの条件をそろえながら、いまだに同じレベルにいるのは、心の方向性が原因のように思います。

こういうことも気を使いながら伝えるのに疲れました。

でも、どこを切り口にして話し合っていけるのか、もう少しだけ考えて見ます。


bumekoさん

太平洋戦史観については、裏ブログの<かんながら>に書かせてもらっています。この先も加筆する予定です。

証言者の声を聞く努力といいますが、この情報化の時代にそこまでしなければ発言できないとは思えません。

だからこそ、事実認識が間違っているのであれば教えて欲しいと言っているのです。

その姿勢が安易だとも思いません。


お互いに先入観をなるべく少なくして、情報交換することのなかで、相互理解と解決策が生まれるように思います。


おむすびさん

>何年も修正されずにいた教科書が、今年になって、どうして修正させられたのでしょうか。単なる事実だけではなくて、その裏が知りたいです。


そのような態度こそが最も大切だと思います。

教科書検定の現場もみんな同じ人間です。

この世に善人と悪人がいるという考え方が、すべての過ちの元です。

結果だけを見て反旗を翻すのではなく、何故そのような経緯に至ったかを調べ上げ、それが事実誤認であれば、その証拠を差し出すことで世論を盛り上げ、もとの軌道に乗せるというのが、本来のありかたではないでしょうか。

>この一件を機会に、これからは一方的に流される報道に対してこれが真実だと信じるのではなくて、なぜ?どうして?この情報の裏には何かないのだろうか?という疑問を持って受け止めていこうと思いました。

これからは情報が一方的に流れることは無くなっていくと思います。

しかし、このネット社会が成熟させるためには、僕たち一人ひとりが成長する必要があります。


僕たちの心の持ち方次第で、今手にしているテクノロジーを無限に活用する事ができるのです。


これからは、何が正しいのかと言う観点から話すのではなく、僕たちの意識の向上に必要な情報を発信していこうと思います。

そのためにも、まずは僕自身が成長したいです。


ありがとうございました。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2007年10月07日 03:43
おむすびさん、あべさん 
一つだけおさえておきたいところがあります。

>何年も修正されずにいた教科書が、
今年になって、どうして修正させられたのでしょうか。
単なる事実だけではなくて、その裏が知りたいです。

今回の集団自決の教科書内の記述は
前回の検定である平成15年度検定でパスして
平成16年度使用の教科書から記載されたものです。
その後、記載の信憑性について
平成17年に沖縄戦集団自決冤罪訴訟があり逆の証言が出てきたから
平成18年度の検定では記載を教科書に事実として記載するのは
一度待ちましょうと言うのが今回の流れです。
(教科書検定は通常3-4年おきですからね)
この流れが政治的介入と見えるとすれば、きっと
世界は陰謀に満ち満ちています。

もし政治的意思が働くとすれば、当初の平成16年度使用の教科書
に記載する時点でしょう。 
この記載は誰もも止めなかった。
これは集会を開いた人々が嫌いだったろう小泉政権の頃の話です。

だから、
>軍の命令は無かったと主張する人たちがどんな人でどんな思想を持っている人なのかも知りたいです。

といわれるとき、その逆、つまり

「軍の命令は有ったと主張する人たちが
どんな人でどんな思想を持っている人なのかも知りたい」

という考えが欠落するのが非常に興味深いです。

沖縄の外からの人の冷酷な言い方といわれるでしょうが

個人ごとに「真実」の思いを抱くのは自由だと思います。
陰謀論もいいでしょう。 ですが
思い入れを教科書に歴史の事実として記載したがる人は
そもそも「歴史は客観的学問ではない」と主張するに等しいのですから
歴史教科書などを使わずに
口伝で歴史の授業をされてはいかがでしょうか。

歴史学は、「沖縄への愛や思い入れ、同化や忠誠」を
表明する場ではないのですから。

ところで
「中立的な立場でも大会に参加すべき」
「真実を見極めるために参加した」とおっしゃる沖縄の皆様方は
あの 「大会参加者x万人」という人数はどうでもいいということですよね。
だって「いろんな意見の人が参加していた、してほしい」という考えが
前提でしょうから、あの集まりは意見を同じくする人々だけではない
ということかと。
Posted by ぷー at 2007年10月11日 14:45
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