2017年11月14日

夢を「見ている者」

今日の話は少し難しいかもしれないけれど、とても重要なことなので、ゆっくり読んでみてください。


さて、親からの影響は大きいと言われていますよね。

ちょっとしたしぐさや、ある種の性格、似ているなァと感じたこともあるかと思います。


言われるまでもなく、親からの影響はかなり大きいものがありそうです。

その中でDNA以上に大きいのは、親がどのように思考の物語を作りだしてきたかです。



このことを伝えるのは難しいのですが、すべての人が人生だと思っているのは、とても深いところから思考が世界の全体像を作りだし、そこに自分のイメージで作ったたくさんの登場人物がいて、その中を、これまたイメージで作りだした「私」という主人公が生きているという物語です。

その大元の世界観が、愛や信頼から作られている人もいれば、疑いや兆戦によって作られている人もいるのです。


信頼の世界から見れば、平気で不義理をする人が理解できず、疑いの世界を生きる人も、信頼の世界を理解できなかったり、時には利用したりもします。



どちらにせよ思考が作りだした世界であり、いい悪いの話ではありません。

しかしこの基本的な世界観の上に、それぞれの人生物語が紡がれていることを考えれば、ここは重要なポイントです。


そしてさらに重要なのは、この人生が思考によって作られているということ。

だから夢だというのです。



夢を「見ている者」

あなたは夢の中の登場人物ではなく、夢を見ている者です。

それは、もう一人の自分が自分を見張っているのとは全く違います。

そのような観照は、夢の中で分裂した自分が、客観的に自分を見ているだけです。


そのような試みも一切含めて夢の中で行われています。

そしてあなたは、それを見る者。


「見る」と言ったとき、見ているという自覚もありません。

ただ、「在るということを知っている」ということです。


この「在るということを知っている」ということがなければ、何一つ存在することはできません。


わかりますか。

世界はあなたの認識によって生じているのです。

その認識には一切の判断がなく、ただあるがままに「在るということを知っている」だけです。


あなたは宇宙がなければ存在できませんが、宇宙もあなたがいなければ存在できません。

すべては相互依存で成り立っているのです。



この「見る者」に至るには、たくさんの心の層を潜り抜けなければいけません。

でも不可能なことではありません。


そこに至るにはどうしたいいのかというのも夢の中で起きていることで、あなたはその夢を「見る者」です。

いまもあなたは「見る者」ですし、夢の中の自分にすっかり取り込まれていたとしても、あなたはそれを見ていますし、「見る者」であることに変わりありません。


だから何も失くしていないし、物語の内容がどうかということも関係ありません。


この「見る者」を仏性と言います。


「衆生本来仏なり」

とは、そういう意味です。



・・・・・・・・・・・



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Posted by Toshiro Abe at 11:21│Comments(39)
この記事へのコメント
いつもありがとうございます。
わかったようなわからないような、
そんな感じです。
善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2017年11月14日 12:11
3.覚醒の本性とは何でしょうか?

覚醒の本性は、
サット・チット・アーナンダ
存在―意識―至福である。

4.真我の実現はいつ得られるのでしょうか?

「見られるもの」である世界が取り除かれたとき
「見る者」である真我は実現されるだろう。

5.世界が(実在として)存在しているときでさえ
  真我が実現されるということはないのでしょうか?

ないだろう。

6.なぜでしょうか?

見る者と見られている対象は、
ロープと蛇のようなものである。

錯覚である蛇という知識がなくならない限り
実体であるロープという知識は得られない。

同じように世界が実在であるという確信がなくならない限り
実在である真我の実現は得られないだろう。

7.対象として見られている世界は、いつ消え去るのでしょうか?

すべての認識作用とすべての行為を引き起こす原因である心が静かになったとき
世界は消え去るだろう。

~ ラマナ・マハルシ対話集「私は誰か?」より ~
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2017年11月14日 12:53
>すべては相互依存で成り立っているのです。

静があっての動、動があっての善
善があっての悪、悪があっての善
幸があっての不幸、不幸があっての幸

なぜ世界が二元として現れるのか?
相互依存のためかもしれませんね。
自分が何かを知るために対極が在ることが必要ですから。

静が在るから動が在る、動が在るから善が在る
善が在るから悪が在る、悪が在るから善が在る
幸が在るから不幸が在る、不幸が在るから幸が在る

"在る"だけですね。
Posted by 模察模察 at 2017年11月14日 13:13
さいご 救われるような気持ちになりました。

ありがとうございます。
Posted by めい at 2017年11月14日 13:13
阿部さん、う~ん、今日のお話は正直、良く解りません。何度か読み直してみます。今日もありがとうございました。「見る者」なんですね。
Posted by 永井新吾 at 2017年11月14日 13:21
夢をみるものなの、この世界で、?
本当は何も起きてないでしょ?
認識したものを認識するわけだから、
恐いとその場面を感じても、ある人は全く
その場面を恐く感じないわけだし。
その人の思いがその世界をつくるわけでしょ
そのまんまでいいの?
恐いけど、これどうせ夢だしなあ!みたいな?
あるがままってまだ、わかってないなあ。
目の前の展開はただ、起きてるだけってかんじなの?
それに、ドキドキ動悸がして、とりこまれそうなっても
おきてるだけってこと?
それに対して何も感じないことがいいことなの?
ドキドキこいつ、こえ~~~とか思って普通のなの?
???

もうちと、前のブログとか、今日のブログ何回も読んでみる。
Posted by ひさのりん at 2017年11月14日 13:34
げっそんなバナナ。
今のうちに瞑想伝授受けねばヤバイ。
確かに智子さんのマントラは超貴重やと思うし。
納得の金額。
まだ、安いほう。
Posted by なる at 2017年11月14日 13:43
本気で自分の内側を見ようとするとき、心の層をくぐり抜けていけるのかなと思います。
いい気分だけじゃない。嫌な気持ちにもなる。
最終的にはその意味づけに意味がないことがわかる。
そのとき、ただ在ると思えてるときなんだと。

意味をつけてなかった頃ってあるよなあって思います。
曖昧な記憶だけど。
周りの大人の思考回路、取り込んだなあと思いますその後。
その思考で自分のこと見ていました。
それが自分の中のジャッジになっているんだなあと。
そのジャッジを付け加える前は、ただ在るだけだったのになあと。
Posted by 薄茶色 at 2017年11月14日 14:47
病気の治療で、
私の中に世間があるのを知りました。
自我が崩れました。
それに気付いた時、見る人でした。
ゲームの世界も、個人の身体の中にも、この世界も
同じように世間があるんですね。
笑っちゃいました。
まるで夢みたいだと。
Posted by 世間 at 2017年11月14日 14:51
うん、やっぱ夢だった。
自分がそれに気づいて恐れを突破?して
思いっ切りこえ~人に頼ってみた。
そしたら、笑顔です。
あんまり嬉しいから、おやつあげちゃった。
わあい、夢でよかった。
わあい。(´▽`)ノ
Posted by ひさのりん at 2017年11月14日 15:56
やつらの足音のバラード - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=C9jBT93zq7A

この歌、『聞き方』が違ってました。

今まで「なんにもない」ばかり意識を向けて、 「そこに在れば安心」としか思ってませんでしたが、
今日は「星がひとつ『生まれた』」 「なんにもない草原に『風が吹いてた』」 とかの
『発見の喜び』に意識が向いて、 そしたらヒトカラで歌うときも、
新鮮な感動を覚えました。

・・・・・で、

この『新鮮な感動』を覚えているのは、
『夢』を『見ている者』なのか、
『夢の中』の『自分』なのか、
どっちでしょうね?

たぶんそれも、書かれているところの『相互依存』・・・・・?
いや、『共同作業』なんでしょうね、きっと。
Posted by ただの「自分」 at 2017年11月14日 16:57
今日もありがとうございます。良い宵を。
Posted by 林ゆみ子 at 2017年11月14日 17:12
今日の投稿を読み、最初はとても苛立ち、腹立ちを感じました。
なぜなら、私自身つい最近、とても不義理な人に出会い
イライラいしたことがあったからです。

「別に悟らなくてもいい。不義理をされたら腹が立つし
不義理をする人は許せない。それでいいい」と思ったときに
ふと、私は自分の意見を「正しい」と支持してくれる人を求めていたのだと
気づきました。

腹が立つ = 自分が正しいと認められないことへの怒り


善悪は観念だということは知識として知っていても
やはり私は善悪に支配され「私は正しい」と認めてほしいのだということを
改めて感じました。

ただ「正しさ」というのが「幻想」であり

「正しい」という思いは人を縛り自由を奪うということを
知っている半面



正しいを手放すと
不義理をして人を傷つける人を認めるようで
やりたくないなとも思う私がいます


許したくないという思い = ひどいことをされた(されるかもしれない)
そして自分(というか自我)を否定されるという恐れが手放せたら

正しい、正しくないという判断から
卒業できるのかしら?


とりとめのないコメントですみません。
Posted by せおり at 2017年11月14日 17:44
この「見る者」は、人間がこの地球上に誕生する前から「見る者」として存在していたのでしょうか?

つまり、「見る者」は、人間の誕生とは全く関係なく、
地球上に、微生物が発生する以前から、存在していたのでしょうか?

そして、「見る者」は、古今を問わず、生物だけでなく、あらゆる存在の中に存在しているのでしょうか?

更に、「見る者」は、形あるモノの存在とは関係なく、
宇宙が誕生する前から存在し、そして宇宙が消滅した後も、存在し続けるのでしょうか?

もし、これらのすべての条件をクリアーしている存在が在るとしたら、
それは、「コレ」以外にはありませんね!(笑)

「コレ」を何と呼んでもいいと思いますが、
仏教では、「コレ」を「仏性」と呼んでいるのですね。

だから、「衆生本来”仏”なり」なんですね♪

阿部さんのブログ、とても勉強になります(^o^)

仏教徒ではないので、少々単語変換させてもらうと、

「衆生本来”神”なり」

う~ん、すごくしっくり来ました!(^o^)v

いつも、ありがとうございます♪
Posted by 真理世 at 2017年11月14日 18:48
>そこに至るにはどうしたいいのかというのも夢の中で起きていることで、あなたはその夢を「見る者」です。

>この「見る者」を仏性と言います。

これは一瞥体験者への教えにも当て嵌まるかも知れません。
覚醒したという思いは本物でしょうが、やがてその感動を「もう一度体験したい」と思うなら、それは「もう一度体験したい」という思考が働いただけであり、生じては消えて行く儚い夢(幻想)を追い求めることに成る分けでしょうか。
人はその体験を今一度欲しようとするあまりに、その思いと同一化してしまい、その夢を観ている「見る者」を忘れ去ってしまいます。
それと、至高体験なる神を見たり輝く太陽を見たりと、非日常なる体験に囚われれば、それを体験している「見る者」を忘れ勝ちと成る分けでしょう。

だから至高体験はあくまでその人の思考(嗜好)からくる脳内現象であれば^^、その人独自の概念映像であり、もし誰かが同じ波動を体験していても、人により千差万別の素粒子の構築が成されるんでしょうか!?

next。
Posted by It's a Sony d( u_u )b ♪♪ at 2017年11月14日 19:19
良くスピで云われてる「いまここ」にサレンダーするというフレーズが有りますが、
けど実際には、「いまここ」にサレンダーしょうとすれば、それは単にラベルにサレンダーするに他ならないかも。
何故なら、「いまここ」とは概念であり単なる方向指示に過ぎず、これにサレンダーするのはお門違いかと。
だからアファメよろしく愚直に、いまここ、いまここ、いまここ、と呟いて、「いまここ」に入ろうとしても拉致が明かないのだと思います(^^;

もう一度言う成れば、「いまここ」とは言葉の概念なのであれば、そこには既に無意識的なる自他の分離感が入っている分けで。
だから我々凡夫はここを間違えて「見る者」をなおざりにしてしまい、自我の凡踊りに魅入ってしまう分けなんでしょうか(笑)

ではどうすれば良いかと問えば、「いまここ」という感覚イメージにサレンダーするのでなく、本筋は自分自身にサレンダーする事ではないでしょうか。
どういう事かと言えば、自分の中にこそ真我が在る分けで、元はと言えば真我自身が我々と勘違いしているのであれば 真我=我々なのであり、「いまここ」という概念にサレンダーするのではなく、我々自身にサレンダーする(つまり寛ぐこと)ことこそ正解ではないかと!?・・・・・今更あたり前のことかもですが(*≧▽≦;)ゞ

next。
Posted by It's a Sony d( u_u )b ♪♪ at 2017年11月14日 19:19
しかして「見る者」との一体感を覚えるには、自分に還って己に寛ぐことであり、現状が如何に過酷な環境に有ろうと全てを横に置いてしまって、今だけでも安心して自分に還ることであり、それはまた自分を信じたという事でその悦びに浸るなら、他は何も要らなくて、だから損得観念から生れる自我は存在感を失い、やがて我々の意識は全我が取って代わるのでしょうか!?

まぁ敢えて言うなら、甲賀忍者さん十八番の忍法熟睡術と似てるのかも知れません。
つまり、熟睡に対する期待感が、人を安心と寛ぎに導くという事に成るんでしょうかね (*^m^)b グッ

すいません、「見る者」の単なる妄想でした・・・・・・・ヒロシです(u_u;) 
Posted by It's a Sony d( u_u )b ♪♪ at 2017年11月14日 19:20
目に見えるだけの世界でなく、見えない世界も有るらしいので、パラレルワールドでは、違う事をしている自分が居て!何かややこしいけど、それも有りなのかも?難しいです。
Posted by らら at 2017年11月14日 20:27
いつもありがとうございます。

そうなんですけどね、だから、1度は、子供の頃からの記憶の束、親、先生、社会規範からくるアイデンティティーを崩壊させる必要があるような、ないような。

それを壊す必要があるのに、ストーリーを助けることは、どうなのかと思ったりして。
Posted by まっす~ at 2017年11月14日 20:51
真理世 さん、「見る者」とはまだまだそんなスケールの小さな者じゃなさそうです(^^;

以前ご紹介した「地球人は科学的に創造された」には、壮大なる次元ドラマ(壮大な幻想とも言えるかと)が描かれていました。
無限小は最後には無限大へと拡がっていて、ゆえに無限大は無限小から生れているようです。
大は小を兼ね、小はまた大を兼ねているということでしょう。
ある人が幽体離脱をして宇宙の果てに飛んだのは良いが、出て来たのは自らの体内からだったとか。
多分に、全体は個を含み、個は全体を含んでいて、宇宙は大から小へそして小から大へと、その様な次元空間を無限にループ(輪廻)してるのかも知れません。

では、宇宙の内側がそのように輪廻してるなら、宇宙自体もまたその様に輪廻しているものと思われます。
つまり、宇宙自体が何度もビッグバンとビッグクランチとして生滅を繰り返してるんだと思える分けです。
しかしてその「見る者」とは、延々として繰り返している宇宙の輪廻に在って永遠なる存在と言えるんでしょうか!?
Posted by It's a Sony d( u_u )b ♪♪ at 2017年11月14日 20:54
僕なんかは…

毎晩毎晩、ぐっすりと眠ることが出来れば
それで十分でありまして

サマディやらニルバーナなど、非日常的体験なんて
全く不要ですけどね

そういう特別な体験を求めている人は、ただ単に
寝不足とちゃうのかなぁ(笑)

忍法☆忍法☆

おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年11月14日 20:55
姉さん、前の記事でコメを返したのですが、なぜか承認されていませんでした。たいしたこと書いてないし、概ね賛同の感じのコメです。
とりあえず、ご承知おきを。(^o^)
Posted by neo at 2017年11月14日 22:31
かんながら:夢を「見ている者」 へのコメント書き込み

『しかしこの基本的な世界観の上に、それぞれの人生物語が紡がれていることを考えれば、ここは重要なポイントです。』


そうですね。

観念は親から引き継がれていたり、あるいは、転生していると言ってもいいのでしょうかね。。

人の意識の進化や変容は時間を要することで、それを永久的に楽しんでいるのか変容を試みているのか、神様は地球上での暮らし方を様々に体験しているといった感じでしょうか。。



今までも前世の体験があり、今後も来世の体験があるのかなと思うことがあります。

まったく別の人生なのだと思うのですが、もし、またこの地球にやってくるのだとしたら、住みやすくなっているのがいいなあと思う。

そうやって何度も転生していて、現在は物質的にとても恵まれていて、そのお蔭で精神世界への関心を持つことが出来る…なんて思うこともあります。


まったく別の人生で、阿部さんの(阿部さんはいないけども)真理を伝える活動に参加してたりして(^_^)

前世や来世のことは分かりませんが、今生は、片付けながら(自分を縛る観念を浄化しながら?)新たな自己を創造することに取り組めたらと思います(^_^)
Posted by ぶどう at 2017年11月14日 23:16
blog更新ありがとうございます❗
何回読んでも読めば読むほどわからなくなってきました。(T_T)

様々な覚醒という夢を見た方々が色とりどりの発信をされてますが、どんどんわからなくなっていきます。

昨日のblogでは、起こることが起きているだけ。

今日のblogは、人生は思考が創っている。
しかも、親の世界観を基盤に。

明日は体が赴くままに…子宮の声に耳を傾けて。。。かな?

明後日はUFOか守護霊が指図してくれるのでしょうか…そうだとよいのですが…


降参とは、何と闘っていたんでしょう?
思考?感情?体?

迷走やるだけやって、神さまの思し召すまま。。。

自分では必死のパッチで瞑想して身口意をただしたつもりでも、神さまの一存でしか悟れない…しかも、悟っても悟らなくても解脱はできない…


この夢は神さまの遊び場、公園ではなく、カジノな気がしてきました(*_*;

とにかく、深刻になるな、もうすべて知ったこっちゃない、って感じですよね?( ^∀^)

長文乱文失礼致しました!
Posted by 「夢」を「見ている者」 at 2017年11月15日 00:01
>あなたは夢の中の登場人物ではなく、夢を見ている者です。
>それは、もう一人の自分が自分を見張っているのとは全く違います。
>そのような観照は、夢の中で分裂した自分が、客観的に自分を見ているだけです。

時々、「あ、今、『この思考』に『埋没』していた」
と気付くときがあります。

それは、
「あ、今、『この思考』に『埋没』していた」と『思っている思考』

『この思考』
の関係性が

>夢の中で分裂した自分が、客観的に自分を見ている

という事なんだろうと思いますが、

『気付きそのもの』は

>夢を見ている者

ですよね?

莊子が
「自分は『胡蝶』で、空を飛んでいる」と『思い込んでいる思考』、
「あ、今、『胡蝶』になって飛んでいる夢を見ていた」と『気付いている思考』は
『夢の中で分裂した自分』同士の関係性だけど、
『気付きそのもの』は『夢を見ている者』。

で、莊子の場合、素晴らしいのは、

「莊子が夢の中で胡蝶となっていたのか、
 それとも、胡蝶の方が夢の中で今の莊子になっているのか」

と『気付いている』という事で・・・・・
もしかして、この時の莊子は、『この思考』=『気付きそのもの』=『夢を見ている者』
だったんじゃないのかなぁ?と思いました。
Posted by ただの「自分」 at 2017年11月15日 04:35
親から受け継いだ思考は完璧にコピーされていました。
生きづらいです。

だからこそ、この世界が全部夢でよかった。
それを気づかせてくれてありがとう。
感謝。
Posted by しゃっこ at 2017年11月15日 08:48
阿部さん。

今日もぽよ〜んと夢の中楽しみます(*'▽'*)

いつもありがとうございまーす
Posted by 景 at 2017年11月15日 09:22
快適な夢を創造していきたいですね。
ふっと嫌な感情がよぎったとき、素通りさせて、「あぁ、なんて清々しいんだ!」って息を吸い込んだら、そのまんまになりました(笑)。
夢だからなんとでもなるのかなw
Posted by neo at 2017年11月15日 12:16
neo さん

コメントありがとう♪

時々、何かの不具合が生じて、
コメントが途中で消えてしまい、阿部さんのところに届かないことが起きるようです。

過去に、何人かのコメント投稿者と阿部さんの間で、そのようなやり取りがあったので、
よく起こることなのだとわかりました。

私も何回か経験しましたが、承認、不承認ということではないと思い、
アップされなくても気にならなくなりました(^^)
Posted by 真理世 at 2017年11月15日 12:55
何らかのシステム不具合により、コメントが行方不明になってしまう件了解です。確かに不承認されるような内容ではなかったです。
もとよりそんなこと書きませんし(笑)。
Posted by neo at 2017年11月15日 14:15
It's a Sony さん

人間の想像力は、創造力でもありますね。

何でも作り出してしまう。。(笑)

すべてを知る必要はないし、
また知ることはできないと思っています。

宇宙がどうだとか?どうなるだとか?
このちっぽけな人間の脳が、すべてを理解することなど、不可能でしょう。

それは、この脳の機能に限界があるからで、
人間は、そのように作られているのですから、仕方ありませんね。

わたしは、自分が誰であり、何であるのか?を知るだけで、充分なのです。
 
そして、今、ソレを体験しているだけで、有り余るほど幸せなのです。

人間は、いくら頑張っても、宇宙の神秘をすべて明らかにすることはできないと思います。

でも、それでいいのです。

わからない分、夢を見ることができますし、
奇想天外な面白いコメントも書けるわけですから(笑)

最近の脳科学では、幽体離脱のメカニズムも解明され、
人工的に体験できるようで、珍しい現象ではないようです。

宇宙に果てがあるとしたら、宇宙は有限です。

有限の宇宙を越えた存在こそが、神。

幽体離脱して神に出会えたら、
もっと面白い体験となることでしょうね(笑)
Posted by 真理世 at 2017年11月15日 16:38
宇宙の神秘…

宇宙が存在しているという視点なら

アインシュタインと僕の理解の違いは天と地ほど
開いていると思いますが

宇宙は幻であって、本当は存在していないという視点なら

アインシュタインと僕の理解の違いは
あまりない感じがしますけどね

無☆無☆

おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年11月15日 20:50
>幽体離脱して神に出会えたら、
>もっと面白い体験となることでしょうね(笑)

我々がそれ(神と遭遇)を認識する分けであれば、それを認識するのが真の神でしょうか。
では、認識力(意識) = 認識しているもの(神)、一応こんな感じですかね。

それじゃこれにて失礼します。
(=^‥^)_旦~~ <神葉烏龍茶>
Posted by It's a Sony d( u_u )b ♪♪ at 2017年11月15日 21:39
neoさん

[書込]ボタンの右側の「確認せずに書込」のチェックを外してから、
[書込]ボタンを押した時、

>書き込み内容  ブログへ戻る(※注:入力したコメントはクリアされます。)
>以下の内容でコメントを書き込みします。
(以下略)

の画面にならなければ、コメントが時空の彼方へ消えています(笑)
原因はわかりませんが、『仕様』と割り切ってます。
長時間同じ記事を表示したまま放置後に起こりやすいので、
時間の関係でしょうか?

ともかく、こうする事で、入力したコメントがサーバーへ転送されたかされていないかが
わかるのでお勧めです。
Posted by ただの「自分」 at 2017年11月15日 22:17
ただ、在るだけでいいって楽ちん

わからなくていいって安心する

とにかく、現象の幻想が大変なのでよかった^^

やっぱり阿部さんのメッセージは元気が出ます
Posted by yun at 2017年11月15日 22:35
度々失礼します。

>宇宙に果てがあるとしたら、宇宙は有限です。

先ほど言ったように、宇宙は意識(神)が極大から極小へ、そして極小から極大へと循環していて、我々の居るこの極大な宇宙とは、我々の一つひとつの細胞を構成している原子という極小世界(宇宙)なのであり、その一つひとつが並行宇宙としてあり、そして別宇宙として他人や物体の原子の世界が存在するのかも知れません(汗)

だから空間の無限というよりは、意識(神)による次元間の永遠の循環なのであり、しかしもし宇宙空間に果てが在るとすれば、それは別の宇宙空間に繋がっていて、おそらくそれは今言ったように他人の細胞の原子としての世界(宇宙)ではないかと、それゆえ宇宙は無限と言えるんでしょうか!?(滝汗)

しかしてこの壮大な幻想ドラマは、全体意識が具現化したもの成れば、事実なる現想ドラマとも言えるんでしょうか(爆呆想)

しかし、こちらにはほんにご迷惑お掛けして居ります(;^m^)ゞピッ
それじゃこれにて (u_u)ZZzz・・・・・
Posted by It's a Sony d[u_u]b ♪♪ at 2017年11月16日 00:08
大空さん、解釈の違いだと思いますが、(他のコメントを日頃見てないかも知れませんが・・)

>> 5.世界が(実在として)存在しているときでさえ
  真我が実現されるということはないのでしょうか?

ないだろう。<<

⁉これ、いつも、実現されていますよね。いつもありますよね。

ただ、その《気づき》がないだけで、

そうだとの《認識》が起こってないだけで。

いつも、いの一番くらいに、物事を言い切るコメントをされる方は、

経験や、知識が少ない読者の方々などに、刷り込みをして、固定観念を植え付けてしまわれる可能性があります・・。

そして、それをする者は、その責任があると思われます。
Posted by y-be at 2017年11月17日 08:41
y-beさん、つっこみどころが、プロ的ですね(笑)

いつもある・・・と思います。私もね。でも いつもあると知ってはみても、それを知っているのは、私の意志とあなたの意志ですよね。

たぶん、実現っていうのは、実直にその中にあることであって、世界が実在に観える中に、それは ないだろう・・・って、引用元の人は答えたのではないですかね?そこは解釈の違いと思います。現に私は、そう思いますしね(笑)

でね、注目したのは、>ないだろう・・・って 書いてること(言ってること)
何か ふくみを感じませんか?ない、って断言していないことに。

実現すること、つまり 根源のままの自分と 肉体の器官を通した現実への認識とが・・・同居することが、私にありました。ですから 私と同じ体験をお持ちでしたら、このコメの前半部分は、取り消します。それは とても悦ばしいことです。。。
Posted by 李 信 at 2017年11月19日 16:17
ただの「自分」さん

些細なことまでフォローして下さって、ありがとうございます。
ずっと気づきませんで申し訳ありません。
ご教示の通り気をつけます。(^o^ゞ
Posted by neo at 2017年11月19日 18:41
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