2012年05月19日
おはよう
ああ、今日もいい日だな。
友よ、好きなだけ眠ってていいんだよ。
だって、自分が眠りたくて眠っているのだから。
本当はいつでも目覚めることができるのに、そのことを無視して夢の続きを見ていたい。
わかるなあ、その気持ち。
たとえ幸せな夢じゃなくても、夢から醒めるのは勇気がいるよね。
何かを失うような気がするしね。
確かにたくさんのものを失うことになる。
でも失うそれらのものは、最初から存在していなかった夢だから、結局は何も失わないんだ。
ところがその夢に、汗や涙や努力や自己犠牲や、いっぱい投資してきちゃったから、いまさら全部夢だって言われてもね。
僕の経験では、死の瞬間、それまでの人生が夢だったって、みんなが知ると思う。
と同時に、重たい体から解放されるのは、この上もない快感なんだ。
だからどんな強い執着を持って死んだ人も、たいていの場合は元の体に戻ってもう一度生きたいとは思わない。
目覚めというのはね、生きながら死ぬことだよ。
それは自我の死、夢の終焉だ。
そうやって死んで初めて本当に生きだすのだから、存在の真実は皮肉だね。
この言葉が、心底理解できていれば、あなたは目覚めている。
でもなんとなくわかるなら、あなたはまだ夢の中だ。
夢の中で、どうやらこれは夢だと判った分だけ、新しい問題を抱えたことになる。
どうやって目覚めたらいいんだ!って、そんなジレンマが付きまとう。
まったくわからないなら、それはそれで何の問題もない。
僕はジレンマを持ち出した人の役に立ちたくて、この27年間を生きてきた。
そして、一人またひとりと挨拶を交わしてきた。
「おはよう!」ってね。
ああ、今日もいい日だな。

友よ、好きなだけ眠ってていいんだよ。
だって、自分が眠りたくて眠っているのだから。
本当はいつでも目覚めることができるのに、そのことを無視して夢の続きを見ていたい。
わかるなあ、その気持ち。
たとえ幸せな夢じゃなくても、夢から醒めるのは勇気がいるよね。
何かを失うような気がするしね。
確かにたくさんのものを失うことになる。
でも失うそれらのものは、最初から存在していなかった夢だから、結局は何も失わないんだ。
ところがその夢に、汗や涙や努力や自己犠牲や、いっぱい投資してきちゃったから、いまさら全部夢だって言われてもね。
僕の経験では、死の瞬間、それまでの人生が夢だったって、みんなが知ると思う。
と同時に、重たい体から解放されるのは、この上もない快感なんだ。
だからどんな強い執着を持って死んだ人も、たいていの場合は元の体に戻ってもう一度生きたいとは思わない。
目覚めというのはね、生きながら死ぬことだよ。
それは自我の死、夢の終焉だ。
そうやって死んで初めて本当に生きだすのだから、存在の真実は皮肉だね。
この言葉が、心底理解できていれば、あなたは目覚めている。
でもなんとなくわかるなら、あなたはまだ夢の中だ。
夢の中で、どうやらこれは夢だと判った分だけ、新しい問題を抱えたことになる。
どうやって目覚めたらいいんだ!って、そんなジレンマが付きまとう。
まったくわからないなら、それはそれで何の問題もない。
僕はジレンマを持ち出した人の役に立ちたくて、この27年間を生きてきた。
そして、一人またひとりと挨拶を交わしてきた。
「おはよう!」ってね。
ああ、今日もいい日だな。

Posted by Toshiro Abe at
09:20
│Comments(39)
2012年05月18日
Hero(本当の力)
諸行無常の移りゆく世界に確かなものはありません。
そこに映し出されるのは、束の間の夢、来ては去っていく幻です。
どんな富を手に入れても、その人は心の中で自分が貧しいことを知っています。
どんな権力を手に入れても、本当は自分が無力だということを知っています。
地位も名誉も、たった一日で失うことになる可能性を知っています。
愛する人とも、いつかは別れなければならないことを知っています。
最終的には、死がそのすべてを奪い去っていきます。
得たものすべてが、表面上の見せかけに過ぎなかったことを証明します。
死は真実を明らかにするのです。
外側に映し出された世界に埋没しているかぎり、人は本来与えられている力を見失い続けます。
本当の力は内側にあり、そこに触れた者だけが安心を得ることができます。
本当の力とは何でしょう。
それは、死を超えていく力です。
生まれる前から、そして死んだ後にも、永遠にあり続けている力があります。
ひとたびその存在を知れば、人生は根底から変容します。
初めて確かなものに触れたからです。
そんな人の目を覗けば、安らかな落ち着きと信頼が見て取れるでしょう。
そこには、海のように全てを包み込む深さがあります。
その人が見ているものは、絶え間なく変わる世界の背後にある、変わることのない本質、本当の力、別の言い方をすれば神そのものです。
この世が映し出す喜びや悲しみの背後に神を見るようになったとき、その状態を目覚めと呼びます。
本当の力は、すでにすべての人に与えられています。
生まれもせず、死にもせず、永遠に変わることのない力です。
今日もまた、思ったままをつらつらと書き記してみました。
このようなブログも表面世界の出来事の一つに過ぎませんが、せめて真実を指し示すナビゲーターでありたいと願っています。

・・・・・・・
名古屋講演会のお申し込みは終了しました。
お会いできるのを楽しみにしています。
そこに映し出されるのは、束の間の夢、来ては去っていく幻です。
どんな富を手に入れても、その人は心の中で自分が貧しいことを知っています。
どんな権力を手に入れても、本当は自分が無力だということを知っています。
地位も名誉も、たった一日で失うことになる可能性を知っています。
愛する人とも、いつかは別れなければならないことを知っています。
最終的には、死がそのすべてを奪い去っていきます。
得たものすべてが、表面上の見せかけに過ぎなかったことを証明します。
死は真実を明らかにするのです。
外側に映し出された世界に埋没しているかぎり、人は本来与えられている力を見失い続けます。
本当の力は内側にあり、そこに触れた者だけが安心を得ることができます。
本当の力とは何でしょう。
それは、死を超えていく力です。
生まれる前から、そして死んだ後にも、永遠にあり続けている力があります。
ひとたびその存在を知れば、人生は根底から変容します。
初めて確かなものに触れたからです。
そんな人の目を覗けば、安らかな落ち着きと信頼が見て取れるでしょう。
そこには、海のように全てを包み込む深さがあります。
その人が見ているものは、絶え間なく変わる世界の背後にある、変わることのない本質、本当の力、別の言い方をすれば神そのものです。
この世が映し出す喜びや悲しみの背後に神を見るようになったとき、その状態を目覚めと呼びます。
本当の力は、すでにすべての人に与えられています。
生まれもせず、死にもせず、永遠に変わることのない力です。
今日もまた、思ったままをつらつらと書き記してみました。
このようなブログも表面世界の出来事の一つに過ぎませんが、せめて真実を指し示すナビゲーターでありたいと願っています。

・・・・・・・
名古屋講演会のお申し込みは終了しました。
お会いできるのを楽しみにしています。
Posted by Toshiro Abe at
10:14
│Comments(108)
2012年05月17日
光明への道
修行にはいくつかのジャンルがあります。
そのひとつは、気づきと共に生きる道、覚醒と留意の道です。
思考はいま以外の何かを求め続けますが、そのような作用を断ち切って、いまあるがままの現実と共にいることです。
自分に与えられたいま以外のところで、誰かが至福を得ている、もっといい人生があるはずだ、このままではいけない、何かを得なければ、何かを達成しなければ・・・これらの思いを断ち切って、「あるがままのいま」にくつろぐ、「あるがままのいま」を全面的に受け入れる、それが光明です。
したがって完全に「いまここ」に戻ってくればそこがゴールです。
最初の一歩が最後の一歩。
僕たちが幸運なのは、いつだって「いま」なので、いつだって最初で最後の一歩を踏み出す機会が与えられていることです。
なぜこのようにシンプルなことが人間には難しくなってしまったのでしょう。
その理由のひとつは、心にため込んできた無数のこだわりが、「いま」を受容することを拒否するからです。
そのこだわりが「観念」であり、違う言い方では「カルマ」と呼ばれます。
このようなこだわりは、感情の記憶と結びついていて、しかも心の奥底に巣食っているので、なかなか解消することができません。
解消しないまま「いま」を受容しようとしても無理な話です。
それはちょうど、体にたくさんの重りをつけたまま、自由に泳ぎ回ろうとする試みと似ています。
僕は、いまここへの気づきの前に、それを妨げている心の重りを除去することを重視しています。
皆さんに奨励する瞑想も、そのためにあります。
瞑想以外にも、自分にあった癒しの道があればそれもいいと思います。
その際は、あらゆる癒しの道が「愛」によって生じることを覚えておいてください。
誰かが誰かを癒すのではなく、その場に生じた愛のレベルの波動が、癒しを起こすのです。
ヒーラーとは、愛の人です。
愛はいつも「いまここ」にあります。
癒しはいつも「いまここ」で起きます。
瞑想も、気づきも、「いまここ」で生じます。
入り口は違えども、あらゆる道は「愛」に通じ、それは「いまここ」にあります。
深い愛は瞑想状態に通じ、深い瞑想は愛に通じています。
この2つは同じものの両側です。
まずは自分自身を癒すこと。
そして最初から完全だった本当の自分を思い出すことです。
そうすれば、「あるがままのいま」を全面的に受け入れることが可能になります。
そこに光明があります。

・・・・・・・
【お知らせ】
名古屋いまここ塾は、残り席わずかです。
詳細はコチラから。
次回沖縄いまここ塾は6月7日(木)に予定しています。
そのひとつは、気づきと共に生きる道、覚醒と留意の道です。
思考はいま以外の何かを求め続けますが、そのような作用を断ち切って、いまあるがままの現実と共にいることです。
自分に与えられたいま以外のところで、誰かが至福を得ている、もっといい人生があるはずだ、このままではいけない、何かを得なければ、何かを達成しなければ・・・これらの思いを断ち切って、「あるがままのいま」にくつろぐ、「あるがままのいま」を全面的に受け入れる、それが光明です。
したがって完全に「いまここ」に戻ってくればそこがゴールです。
最初の一歩が最後の一歩。
僕たちが幸運なのは、いつだって「いま」なので、いつだって最初で最後の一歩を踏み出す機会が与えられていることです。
なぜこのようにシンプルなことが人間には難しくなってしまったのでしょう。
その理由のひとつは、心にため込んできた無数のこだわりが、「いま」を受容することを拒否するからです。
そのこだわりが「観念」であり、違う言い方では「カルマ」と呼ばれます。
このようなこだわりは、感情の記憶と結びついていて、しかも心の奥底に巣食っているので、なかなか解消することができません。
解消しないまま「いま」を受容しようとしても無理な話です。
それはちょうど、体にたくさんの重りをつけたまま、自由に泳ぎ回ろうとする試みと似ています。
僕は、いまここへの気づきの前に、それを妨げている心の重りを除去することを重視しています。
皆さんに奨励する瞑想も、そのためにあります。
瞑想以外にも、自分にあった癒しの道があればそれもいいと思います。
その際は、あらゆる癒しの道が「愛」によって生じることを覚えておいてください。
誰かが誰かを癒すのではなく、その場に生じた愛のレベルの波動が、癒しを起こすのです。
ヒーラーとは、愛の人です。
愛はいつも「いまここ」にあります。
癒しはいつも「いまここ」で起きます。
瞑想も、気づきも、「いまここ」で生じます。
入り口は違えども、あらゆる道は「愛」に通じ、それは「いまここ」にあります。
深い愛は瞑想状態に通じ、深い瞑想は愛に通じています。
この2つは同じものの両側です。
まずは自分自身を癒すこと。
そして最初から完全だった本当の自分を思い出すことです。
そうすれば、「あるがままのいま」を全面的に受け入れることが可能になります。
そこに光明があります。

・・・・・・・
【お知らせ】
名古屋いまここ塾は、残り席わずかです。
詳細はコチラから。
次回沖縄いまここ塾は6月7日(木)に予定しています。
Posted by Toshiro Abe at
09:59
│Comments(116)
2012年05月16日
無限の彼方へ
ブログは記録が残るから面白いです。
その時々の自分が息づいていて、ここには人生の写しがあるように思います。
内側で感じていることや、存在に対する理解は20数年前から何も変わりません。
こればかりは、これからも変わりようがないでしょう。
でも変わらぬ真実を感じている生身の自分は、あきらかに変わり続けています。
自分という乗り物には、いくらでも成長の余地がありそうです。
ある種の人格のようなものかもしれません。
社会用に磨いた見せかけの人格ではなく、あるがままの人格です。
昨日載せた昔のボツ記事(ボッキ時ではない)が語る真実には何一つ異論はありませんが、いまの僕なら書かないであろう表現が1つあります。
それは
「修行生活なんてチャンチャラおかしい」
という一言です。
きっと書いたときは、『戒律や枠の中で生きている人』に対するメッセージのつもりだったのでしょうが、現在ならもっと違う表現をしたと思います。
僕がいまの瞑想を本格的に始めてから僅かに4年ですが、この4年間でずいぶんと人となりが変わった気がします。
それは家族たちも認めるところで、僕が変わったからみんなが瞑想をやりだしたのでしょう。
自分で言うのもなんですが、僕はこの数年間で気持ちが優しくなりました。
まだまだ未熟な面が残っていますが、それでも画期的な変化です。
ということは、これからもいくらでも成長の可能性が残っているということです。
もし完全無欠になったとしたら、それは止まってしまったということで、もはや生きているとは言えません。
宇宙全体が永遠の生き物です。
したがって、成長は無限に続いていくのだと思います。
成長を促す道を「修行」と言うのなら、「修行」は何よりも大切です。
修行法は様々あると思いますが、いまの自分に合った修行を積むのは、とても価値があることです。
どんなに深遠な真実を理解したとしても、本物の人格が備わっていなければ何の意味もないと思うようになりました。
だから5年前の僕に会ったら、こうアドバイスします。
5年前の僕
↓
( ̄ヘ ̄) 「修行なんてチャンチャラおかしい」
いまの僕
↓
(⌒▽⌒) 「修行しなさい」
無理に性格を変えようとは思わないし、これからも自分らしさをイキイキと生きようと思うけれど、修行を重ねたらどんな自分らしさが出てくるのか楽しみです。
修業とは何かを身につけることではなく、あるがままでOKの自分が、さらにピュアであるがままの自分になっていくことだと思います。
たとえいまの自分がどんなだとしても、誰もの人生はいまから始まっていくのだから、みんな同じ条件ですね。
・・・・・・・・・・
人生は飽きないな。
こんなに面白いゲームを創り出したなんて、作者は天才か神かどっちかだ。
これからも、やりたいことをやって生きるとしよう。
え?一番やりたいことは何かって?
それはね、みんな根っこは同じものだし、みんな宇宙のメンバーだし、最初から愛の中にいて、最初から守られていて、これからもずっとそうだよって、縁があった人たちに伝えていくことかな。
あれ?それだけは昔から変わってない。
きっとこれからも変わらないと思う。
死ぬ間際に、こう言うんだ。
『み・・ん・・な・・・だいじょうぶだからね・・・、
それじゃ・・・・・お先に・・・(^o^) 』

その時々の自分が息づいていて、ここには人生の写しがあるように思います。
内側で感じていることや、存在に対する理解は20数年前から何も変わりません。
こればかりは、これからも変わりようがないでしょう。
でも変わらぬ真実を感じている生身の自分は、あきらかに変わり続けています。
自分という乗り物には、いくらでも成長の余地がありそうです。
ある種の人格のようなものかもしれません。
社会用に磨いた見せかけの人格ではなく、あるがままの人格です。
昨日載せた昔のボツ記事(ボッキ時ではない)が語る真実には何一つ異論はありませんが、いまの僕なら書かないであろう表現が1つあります。
それは
「修行生活なんてチャンチャラおかしい」
という一言です。
きっと書いたときは、『戒律や枠の中で生きている人』に対するメッセージのつもりだったのでしょうが、現在ならもっと違う表現をしたと思います。
僕がいまの瞑想を本格的に始めてから僅かに4年ですが、この4年間でずいぶんと人となりが変わった気がします。
それは家族たちも認めるところで、僕が変わったからみんなが瞑想をやりだしたのでしょう。
自分で言うのもなんですが、僕はこの数年間で気持ちが優しくなりました。
まだまだ未熟な面が残っていますが、それでも画期的な変化です。
ということは、これからもいくらでも成長の可能性が残っているということです。
もし完全無欠になったとしたら、それは止まってしまったということで、もはや生きているとは言えません。
宇宙全体が永遠の生き物です。
したがって、成長は無限に続いていくのだと思います。
成長を促す道を「修行」と言うのなら、「修行」は何よりも大切です。
修行法は様々あると思いますが、いまの自分に合った修行を積むのは、とても価値があることです。
どんなに深遠な真実を理解したとしても、本物の人格が備わっていなければ何の意味もないと思うようになりました。
だから5年前の僕に会ったら、こうアドバイスします。
5年前の僕
↓
( ̄ヘ ̄) 「修行なんてチャンチャラおかしい」
いまの僕
↓
(⌒▽⌒) 「修行しなさい」
無理に性格を変えようとは思わないし、これからも自分らしさをイキイキと生きようと思うけれど、修行を重ねたらどんな自分らしさが出てくるのか楽しみです。
修業とは何かを身につけることではなく、あるがままでOKの自分が、さらにピュアであるがままの自分になっていくことだと思います。
たとえいまの自分がどんなだとしても、誰もの人生はいまから始まっていくのだから、みんな同じ条件ですね。
・・・・・・・・・・
人生は飽きないな。
こんなに面白いゲームを創り出したなんて、作者は天才か神かどっちかだ。
これからも、やりたいことをやって生きるとしよう。
え?一番やりたいことは何かって?
それはね、みんな根っこは同じものだし、みんな宇宙のメンバーだし、最初から愛の中にいて、最初から守られていて、これからもずっとそうだよって、縁があった人たちに伝えていくことかな。
あれ?それだけは昔から変わってない。
きっとこれからも変わらないと思う。
死ぬ間際に、こう言うんだ。
『み・・ん・・な・・・だいじょうぶだからね・・・、
それじゃ・・・・・お先に・・・(^o^) 』

Posted by Toshiro Abe at
08:50
│Comments(124)
2012年05月15日
ボツ記事
こうして毎日のように記事を書いているけれど、ボツにした記事も多数あります。
今日はそんな中から埋もれていた記事を載せてみます。
2007年10月のボツ記事です。
・・・・・・・・・
若いころ、僕は社会の一員だった。
ある時、社会を後にした。
完全に後にした。
人はそんな僕を、落伍者・ヒッピー・精神かぶれと呼んで蔑んだ。
しかし彼らからの非難は、心に何の影響も与えなかった。
誰に属することもない。
誰からも支配されず、誰をも支配しない。
僕は集団の一部ではなく、徹底的に個人になった。
なぜなら覚醒とは集団に起こることではなく、個人に起こることだから。
いま再び社会の中にいる。
しかし社会の一員ではない。
誰からも支配されず、誰をも支配しない。
いまもなお、僕は集団の一部ではなく、徹底的に個人だ。
宗教など論外だ。
修行生活なんてチャンチャラおかしい。
誰の真似もしない。
完全オリジナル版人生だ。
ヒッピーも卒業した。
内なる気づきを生き方で表現するのも止めた。
気に入ればブランド品を身にまとい、快適な生活を楽しむ。
やりたいことをやって、やりたくないことはやらない。
だって僕は天地宇宙の王だから。
・・・・・・・・
あはは、なんて傲慢な宣言だ。
たった5年前なのに、激しさと若さを感じる。
でも言いたいことはわかる。
いまも、まったくもって同感だ。
最近はすっかり好中年になったなァ。

・・・・・・・
とはいうものの、講演会ではあいかわらず言いたい放題ですね。
ソロ公演会は久しぶりの気がします。
今日から名古屋講演会の申し込み受け付けを開始します。
6月3日(日) 13時スタート
詳細はコチラから。
今日はそんな中から埋もれていた記事を載せてみます。
2007年10月のボツ記事です。
・・・・・・・・・
若いころ、僕は社会の一員だった。
ある時、社会を後にした。
完全に後にした。
人はそんな僕を、落伍者・ヒッピー・精神かぶれと呼んで蔑んだ。
しかし彼らからの非難は、心に何の影響も与えなかった。
誰に属することもない。
誰からも支配されず、誰をも支配しない。
僕は集団の一部ではなく、徹底的に個人になった。
なぜなら覚醒とは集団に起こることではなく、個人に起こることだから。
いま再び社会の中にいる。
しかし社会の一員ではない。
誰からも支配されず、誰をも支配しない。
いまもなお、僕は集団の一部ではなく、徹底的に個人だ。
宗教など論外だ。
修行生活なんてチャンチャラおかしい。
誰の真似もしない。
完全オリジナル版人生だ。
ヒッピーも卒業した。
内なる気づきを生き方で表現するのも止めた。
気に入ればブランド品を身にまとい、快適な生活を楽しむ。
やりたいことをやって、やりたくないことはやらない。
だって僕は天地宇宙の王だから。
・・・・・・・・
あはは、なんて傲慢な宣言だ。
たった5年前なのに、激しさと若さを感じる。
でも言いたいことはわかる。
いまも、まったくもって同感だ。
最近はすっかり好中年になったなァ。

・・・・・・・
とはいうものの、講演会ではあいかわらず言いたい放題ですね。
ソロ公演会は久しぶりの気がします。
今日から名古屋講演会の申し込み受け付けを開始します。
6月3日(日) 13時スタート
詳細はコチラから。
Posted by Toshiro Abe at
10:15
│Comments(85)
2012年05月14日
ゾルバ・ザ・ブッダ
長かったような、短かかったような・・・
4月26日から始まったボブさんのツアーが終了。
来てくれたみなさん、そして応援してくれたみなさん、ありがとうございました。
有意義な日々でした。
終わってみて思う事・・・今更ながら僕はただのオッサンだということ。
ボブさんも優しいい一人のオッサンだ。
ただのオッサン達が、現象界を超える次元を感得して、肉体と魂の両方を生きだした。
でもそれにしたって、気づいているにしろ、いないにしろ、本質は誰もがみんな同じなんだから、この世に特別な人なんていないんだよね。
これを言うと怒る人がいるけれど、あらゆる宗教の教祖さんも歴史上の偉人とされた人も、ただの人だ。
だってみんな同じ人間種だから。
精神世界のメッセージを書いていると、中にはこんな僕にさえ覚者のファンタジーを持つ人がいて、たまにはその期待に応えようかなんて、ちょっと気取ってみたりもするけれど、長続きしないからすぐバレちゃう(笑)
別れ際にボブさんが言った。
「この世はマーヤ(幻想)だ。だからマーヤをエンジョイしている。see you my friend.」
あー、それにしても清々しい朝だ。
これから沖縄に帰ります。
みなさんもよい一日をね(^o^)

4月26日から始まったボブさんのツアーが終了。
来てくれたみなさん、そして応援してくれたみなさん、ありがとうございました。
有意義な日々でした。
終わってみて思う事・・・今更ながら僕はただのオッサンだということ。
ボブさんも優しいい一人のオッサンだ。
ただのオッサン達が、現象界を超える次元を感得して、肉体と魂の両方を生きだした。
でもそれにしたって、気づいているにしろ、いないにしろ、本質は誰もがみんな同じなんだから、この世に特別な人なんていないんだよね。
これを言うと怒る人がいるけれど、あらゆる宗教の教祖さんも歴史上の偉人とされた人も、ただの人だ。
だってみんな同じ人間種だから。
精神世界のメッセージを書いていると、中にはこんな僕にさえ覚者のファンタジーを持つ人がいて、たまにはその期待に応えようかなんて、ちょっと気取ってみたりもするけれど、長続きしないからすぐバレちゃう(笑)
別れ際にボブさんが言った。
「この世はマーヤ(幻想)だ。だからマーヤをエンジョイしている。see you my friend.」
あー、それにしても清々しい朝だ。
これから沖縄に帰ります。
みなさんもよい一日をね(^o^)

Posted by Toshiro Abe at
09:47
│Comments(149)
2012年05月12日
照見五蘊皆空 度一切苦厄
「すべての現実は自分が創り出している」
この言葉は精神世界系の書物で繰り返し語られてきました。
多くの人が一度は聞いたことがあるでしょう。
しかし、この言葉の意味をどれくらいの人が理解しているでしょうか。
知的に所有していても、完全には納得していない人もいることでしょう。
ましてや、いま苦境の中にいればなおさらです。
犯罪や災害の犠牲者に「すべての現実は自分が創り出している」などと言えるのかという抵抗もあるでしょう。
思考は様々なケースを引き合いに出して、この言葉が真実かどうか検証しようとしますが、残念ながら思考レベルで理解することはできません。
昨日はタイトルに「根本的な道」と書きましたが、あれは分離意識の中での「根本的な道」にすぎません。
究極の真実から見れば、あらゆる問題や、あらゆる苦しみの原因はひとつだけです。
それは「個としての自分」が存在するという錯覚です。
したがって「根本的な道」とは、本当の自分は全知全能の神であり、その自分がありとあらゆる現実を創り出していることを思い出すことです。
この世には「神である自分」しか存在していないのに、その自分をわざと忘却状態にして、困難な現実を創り出して遊んでいるのが人生です。
この遊びは細部にわたって精密にできていて、実際には全知全能な自分を、これでもかというくらい無力で卑小な存在に貶めることで成り立っています。
苦しみのさなかに、真実の自分を思い出し、本来の力を取り戻せれば、現実(そう見えるもの)は一変します。
このアプローチが「根本的な道」です。
言葉はもどかしいですね。
こんなことを書いても仕方がないと思いつつ、これからも書き続けるのでしょう。
誰かのインスピレーションにつながることを願いながら。

この言葉は精神世界系の書物で繰り返し語られてきました。
多くの人が一度は聞いたことがあるでしょう。
しかし、この言葉の意味をどれくらいの人が理解しているでしょうか。
知的に所有していても、完全には納得していない人もいることでしょう。
ましてや、いま苦境の中にいればなおさらです。
犯罪や災害の犠牲者に「すべての現実は自分が創り出している」などと言えるのかという抵抗もあるでしょう。
思考は様々なケースを引き合いに出して、この言葉が真実かどうか検証しようとしますが、残念ながら思考レベルで理解することはできません。
昨日はタイトルに「根本的な道」と書きましたが、あれは分離意識の中での「根本的な道」にすぎません。
究極の真実から見れば、あらゆる問題や、あらゆる苦しみの原因はひとつだけです。
それは「個としての自分」が存在するという錯覚です。
したがって「根本的な道」とは、本当の自分は全知全能の神であり、その自分がありとあらゆる現実を創り出していることを思い出すことです。
この世には「神である自分」しか存在していないのに、その自分をわざと忘却状態にして、困難な現実を創り出して遊んでいるのが人生です。
この遊びは細部にわたって精密にできていて、実際には全知全能な自分を、これでもかというくらい無力で卑小な存在に貶めることで成り立っています。
苦しみのさなかに、真実の自分を思い出し、本来の力を取り戻せれば、現実(そう見えるもの)は一変します。
このアプローチが「根本的な道」です。
言葉はもどかしいですね。
こんなことを書いても仕方がないと思いつつ、これからも書き続けるのでしょう。
誰かのインスピレーションにつながることを願いながら。

Posted by Toshiro Abe at
09:12
│Comments(146)
2012年05月11日
根本的な道
いま福岡に到着しました。
ここがツアー最後の場所です。
PCを開いてみなさんのコメントを読ませてもらいました。
僕にとってもここは和みの場所になっています。
yさんからの質問です
阿部さん
唐突で申し訳ございませんが、苦しいので質問致します。
離婚して何年も経ちました。
罪悪感と恥の気持ちから中々、抜け出せずにいます。
子供の親権は、こちらなのですが、慰謝料と養育費は無かったので、今もあちら名義の家に住んでいます。
当初は、子供も自分も積極的に生きていたのが、段々と無気力になり、世間にも背を向け、引きこもりになりました。
まるで、カフカのグレーゴルみたいです。
周り(親族)の人達の言う事にばかり気を遣い従って、自分の気持ちの感じ方は遠くへやっているうちに、いまここに生きていない自分。
自己嫌悪と恥の塊の自分と同様に、子供も自信を無くていきました。
他人の目が怖くなり、対人関係も嫌になりました。あちらの親が、離婚後に異常なまでの孫執着も原因だと思います。
親族の言う事を聞かずに、あちら名義の家に住まないで、さっさと引っ越していれば良かったとも思いますが、あちらの親が血眼になって探して来ると思うと、何処に行っても結局同じかと諦めてしまいました。
でも、毎日、朝の小鳥たちの声を聴いたり、風の音を聴いたり、窓の外を眺めていると、もう一度自然に触れたいと思います。
やはり、愛が無くなったのが最大の原因だと思います。
将来ある子供の為に、これから、どの様にしたら良いのでしょうか?
絶望感に苛まれて、混乱状態です。
阿部さん達の様に、友人に囲まれて、素敵な笑顔の出来る自分になりたいです。
引っ越して、環境を変えて、やり直せるでしょうか?
どうしても、あちらとあちらの親には、今後一切は逢いたくありません。子供も同じ気持ちです。すみません。宜しくお願いします。
yさん
実際にあたなにお会いしなければ適切なアドバイスはできません。
文章から波動をくみ取ることもできますが、それには限界があるからです。
できる範囲で書いてみます。
まず気になるのは、あなたが100%被害者の立場にいるということです。
私は正しいのに、こんな目にあっているという立場です。
耳が痛いかもしれませんが、いまのあなたの解釈も感情も、あなたの意識が作り出しているということを認めなければないけません。
子供の状態も、そのようなあなたの影響が大きいと思います。
もしあなたが本当に今の状態から抜け出したいのであれば、別れた夫やその親に対する気持ちを、少しずつ変えていくことです。
彼らを安心させてあげてるのです。
それはあなたが自己犠牲をすることとは違います。
いまの状態からは見えなくても、あなたの意識が変われば、いまよりも良いアイデアが見つけられます。
と同時に、あなたが変われば、あなたの子供も、そして先方の家族の意識も変わっていくことでしょう。
まずはあなた自身の癒しが必要なようですね。
最も早く癒される道は、最もあなたが苦手とする相手を愛そうとする試みです。
いまの苦しさの中には、あなたが成長するための推進力となる燃料がたくさん含まれています。
成長することを恐れずに、愛を選ぶ勇気が持てるかどうかです。
少しでも参考になれば幸いです。
あなたが以前のようなあなたに戻れますように。
さてこのような質問にいつも答えられるわけではないことをご理解ください。
むしろそれを読んだみなさんのサポートやアドバイスをいただけたらありがたいです。
ここが、苦しんでいる人たちに少しでも光を指し示す道になれたらいいですね。
ここがツアー最後の場所です。
PCを開いてみなさんのコメントを読ませてもらいました。
僕にとってもここは和みの場所になっています。
yさんからの質問です
阿部さん
唐突で申し訳ございませんが、苦しいので質問致します。
離婚して何年も経ちました。
罪悪感と恥の気持ちから中々、抜け出せずにいます。
子供の親権は、こちらなのですが、慰謝料と養育費は無かったので、今もあちら名義の家に住んでいます。
当初は、子供も自分も積極的に生きていたのが、段々と無気力になり、世間にも背を向け、引きこもりになりました。
まるで、カフカのグレーゴルみたいです。
周り(親族)の人達の言う事にばかり気を遣い従って、自分の気持ちの感じ方は遠くへやっているうちに、いまここに生きていない自分。
自己嫌悪と恥の塊の自分と同様に、子供も自信を無くていきました。
他人の目が怖くなり、対人関係も嫌になりました。あちらの親が、離婚後に異常なまでの孫執着も原因だと思います。
親族の言う事を聞かずに、あちら名義の家に住まないで、さっさと引っ越していれば良かったとも思いますが、あちらの親が血眼になって探して来ると思うと、何処に行っても結局同じかと諦めてしまいました。
でも、毎日、朝の小鳥たちの声を聴いたり、風の音を聴いたり、窓の外を眺めていると、もう一度自然に触れたいと思います。
やはり、愛が無くなったのが最大の原因だと思います。
将来ある子供の為に、これから、どの様にしたら良いのでしょうか?
絶望感に苛まれて、混乱状態です。
阿部さん達の様に、友人に囲まれて、素敵な笑顔の出来る自分になりたいです。
引っ越して、環境を変えて、やり直せるでしょうか?
どうしても、あちらとあちらの親には、今後一切は逢いたくありません。子供も同じ気持ちです。すみません。宜しくお願いします。
yさん
実際にあたなにお会いしなければ適切なアドバイスはできません。
文章から波動をくみ取ることもできますが、それには限界があるからです。
できる範囲で書いてみます。
まず気になるのは、あなたが100%被害者の立場にいるということです。
私は正しいのに、こんな目にあっているという立場です。
耳が痛いかもしれませんが、いまのあなたの解釈も感情も、あなたの意識が作り出しているということを認めなければないけません。
子供の状態も、そのようなあなたの影響が大きいと思います。
もしあなたが本当に今の状態から抜け出したいのであれば、別れた夫やその親に対する気持ちを、少しずつ変えていくことです。
彼らを安心させてあげてるのです。
それはあなたが自己犠牲をすることとは違います。
いまの状態からは見えなくても、あなたの意識が変われば、いまよりも良いアイデアが見つけられます。
と同時に、あなたが変われば、あなたの子供も、そして先方の家族の意識も変わっていくことでしょう。
まずはあなた自身の癒しが必要なようですね。
最も早く癒される道は、最もあなたが苦手とする相手を愛そうとする試みです。
いまの苦しさの中には、あなたが成長するための推進力となる燃料がたくさん含まれています。
成長することを恐れずに、愛を選ぶ勇気が持てるかどうかです。
少しでも参考になれば幸いです。
あなたが以前のようなあなたに戻れますように。
さてこのような質問にいつも答えられるわけではないことをご理解ください。
むしろそれを読んだみなさんのサポートやアドバイスをいただけたらありがたいです。
ここが、苦しんでいる人たちに少しでも光を指し示す道になれたらいいですね。
Posted by Toshiro Abe at
17:52
│Comments(114)
2012年05月10日
南無観世音
ボブさんが来日して二週間。
ほぼ休みなしで全国を回らせてもらっています。
先日、比叡山の堀澤大僧正が、大阪会場まで応援に来てくれました。
83歳になられる今も、仏教界の重鎮としての職責を果たしながら、日々魂の向上に努められています。
堀澤さんを見ていると、徹底して生きることの清々しさを感じます。
よくメール交換をしているのですが、二人の間では、お互いを「敏ちゃん」「門ちゃん」と呼び合うようにしていて、大先輩であるのと同時に、兄弟のような親しみを与えてくれる人です。
僕は常々、人間の価値は温かみによって決まると思っていて、門ちゃんはまさに慈愛の化身のような人で、僕自身もそうありたいと願っています。
僕が体調不良になったことをずいぶん心配してくれて、今朝早くメールで自らの健康法を送ってくれました。
また時期をみて、みなさんにもご紹介したいと思います。
いまでも幼子のような心を持つ門ちゃん、同じく赤子のようなボブちん、こういう先輩に巡り会えた幸せを、先日撮った一枚の写真でお裾分けします。


ほぼ休みなしで全国を回らせてもらっています。
先日、比叡山の堀澤大僧正が、大阪会場まで応援に来てくれました。
83歳になられる今も、仏教界の重鎮としての職責を果たしながら、日々魂の向上に努められています。
堀澤さんを見ていると、徹底して生きることの清々しさを感じます。
よくメール交換をしているのですが、二人の間では、お互いを「敏ちゃん」「門ちゃん」と呼び合うようにしていて、大先輩であるのと同時に、兄弟のような親しみを与えてくれる人です。
僕は常々、人間の価値は温かみによって決まると思っていて、門ちゃんはまさに慈愛の化身のような人で、僕自身もそうありたいと願っています。
僕が体調不良になったことをずいぶん心配してくれて、今朝早くメールで自らの健康法を送ってくれました。
また時期をみて、みなさんにもご紹介したいと思います。
いまでも幼子のような心を持つ門ちゃん、同じく赤子のようなボブちん、こういう先輩に巡り会えた幸せを、先日撮った一枚の写真でお裾分けします。

Posted by Toshiro Abe at
08:46
│Comments(169)
2012年05月09日
Love is real, real is Love
昨日のコメント欄にコメントを残してくれた、ブラー久美子さんは、僕の従姉(いとこ)です。
幼いころは姉弟のようにして育ち、周囲からは「そっくりだ」と言われ続けました。
いま彼女はNYで画家として活躍していますが、主に人物画を専門にしています。
彼女の絵を見るたびに、人間の息吹のようなもの、そしてその奥にある魂を感じます。
外側の見てくれがどうであろうと、その人の中を生きている最奥の魂は同じものであり、その同じものがあなたの中を、そして僕の中を生きているのです。
彼女は絵を通して、その真実を表現しています。
昨日のコメントではこのように言っています。
「敏郎さんがおしゃった『水は容器によって形がかわるけれど本質は不変』なように、私は、お釈迦様もイエス様もアラーの神様も、”同じもの”が違ったイメージで現れたと実感しています。
仏像にみえるわたしの絵も、本質は”キリストの愛”、”キリストのピース”と同じなので、そういうタイトルを付けようかと思ったのですが、言葉はラベル、やめました」
NYに暮らしていたら、イエスとアラー神との対立を間近に感じるでしょうね。
対立は人間が作り出したもので、存在の源はひとつであり、その真実は個々の内なる体験によって明らかになります。
彼女は、いままでにも大きな賞を受賞してきましたが、今回の受賞にはネット上での投票が必要なようです。
「敏郎さんの
”みな同じものの一部であることに変わりなく、また究極的には時間が存在していない”
を絵で表しました。
生けるものはすべてここから来ているので”同じものの一部である”ことになるかと思うのですが。
私はニューヨーク在住のブラー久美子という画家です。
”ノータイトル”というこの無色の仏像の絵は、あのけばけばしい騒音だらけのタイムズスクエアにぴったりだと思い、6月のタイムズスクエアショウに応募しました。
入選するには多くの人のクリック(画面上部にある”Collect Me")が必要です。
どうぞ皆さんのご協力をお願いします。
Let the world see
"いまここ”」
もし絵を気に入ってくれたらクリックお願いします。
久美子さんの絵は、コチラからお入りください。
昨日から札幌にいます。
今日もまたみなさんとお会いできることを幸せに思っています。
無数の僕がみんな幸せでありますように。

・・・・・・
【お知らせ】
6月の講演会は、名古屋と東京です。
名古屋 6月3日
東京 6月24日
名古屋は近日中に受付を開始します。
5月27日の東京講演会に来られなくなった人は、なるべく早くキャンセルをお申し出ください。
よろしくお願いします。
幼いころは姉弟のようにして育ち、周囲からは「そっくりだ」と言われ続けました。
いま彼女はNYで画家として活躍していますが、主に人物画を専門にしています。
彼女の絵を見るたびに、人間の息吹のようなもの、そしてその奥にある魂を感じます。
外側の見てくれがどうであろうと、その人の中を生きている最奥の魂は同じものであり、その同じものがあなたの中を、そして僕の中を生きているのです。
彼女は絵を通して、その真実を表現しています。
昨日のコメントではこのように言っています。
「敏郎さんがおしゃった『水は容器によって形がかわるけれど本質は不変』なように、私は、お釈迦様もイエス様もアラーの神様も、”同じもの”が違ったイメージで現れたと実感しています。
仏像にみえるわたしの絵も、本質は”キリストの愛”、”キリストのピース”と同じなので、そういうタイトルを付けようかと思ったのですが、言葉はラベル、やめました」
NYに暮らしていたら、イエスとアラー神との対立を間近に感じるでしょうね。
対立は人間が作り出したもので、存在の源はひとつであり、その真実は個々の内なる体験によって明らかになります。
彼女は、いままでにも大きな賞を受賞してきましたが、今回の受賞にはネット上での投票が必要なようです。
「敏郎さんの
”みな同じものの一部であることに変わりなく、また究極的には時間が存在していない”
を絵で表しました。
生けるものはすべてここから来ているので”同じものの一部である”ことになるかと思うのですが。
私はニューヨーク在住のブラー久美子という画家です。
”ノータイトル”というこの無色の仏像の絵は、あのけばけばしい騒音だらけのタイムズスクエアにぴったりだと思い、6月のタイムズスクエアショウに応募しました。
入選するには多くの人のクリック(画面上部にある”Collect Me")が必要です。
どうぞ皆さんのご協力をお願いします。
Let the world see
"いまここ”」
もし絵を気に入ってくれたらクリックお願いします。
久美子さんの絵は、コチラからお入りください。
昨日から札幌にいます。
今日もまたみなさんとお会いできることを幸せに思っています。
無数の僕がみんな幸せでありますように。

・・・・・・
【お知らせ】
6月の講演会は、名古屋と東京です。
名古屋 6月3日
東京 6月24日
名古屋は近日中に受付を開始します。
5月27日の東京講演会に来られなくなった人は、なるべく早くキャンセルをお申し出ください。
よろしくお願いします。
Posted by Toshiro Abe at
09:09
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2012年05月07日
如水
ツアー半ばで思うこと。
いままで認識してきた「自分」や「人生」以上の何かを求める段階に、多くの人たちが入っています。
それは地上生命としての最終段階です。
世の中にはまだ、霊的真実に対してまったく無関心な人たちもいますが、やがて彼らも、いまあなたがいる段階に達し、さらにあなたは次の段階にジャンプすることでしょう。
いつも言うように、確かに現象としての早い遅いはあるのですが、みな同じものの一部であることに変わりなく、また究極的には時間が存在していないので、すべて同時に起きているとも言えます。
さて、自分が覚醒したかどうかどうしたらわかるか、と聞かれることがありますが、そのような質問が出ること自体、まだ目覚めが起きていないことを表しています。
覚醒の大きな特徴は、真理の探究に対するあらゆる質問が止むことです。
知的に知らなければならないことが無くなります。
もちろん専門知識や専門用語の意味を尋ねることはありますが、いわゆる趣味のレベルであり、本質的な問いかけは消えています。
真理に対する議論もなくなります。
たとえ否定されようと、反対意見を持ち出されようと、議論にはなりません。
相手が学びたいという思いから意見を言っているのであれば、その人が理解できる言葉を使って説明しますが、相手の態度が決まっている場合は、こちらが折れて同調するか、その場を離れるかどちらかです。
たとえ自分の意見を曲げて相手に合わせたとしても、真理は何も変わりません。
不毛な議論に労力を費やすよりずっとマシです。
もし僕が、とある宗教に入信しろと言われて、もし入らなければ痛い目に合わせると脅迫されたら、さっさと入信します。
そしてその宗教が奨励する「正しい祈りかた」を始めることでしょう。
何のスタイルもありません。
四角い容器に入れば四角に、丸い容器に入れば丸くなり、水のように自由自在です。
もし何かの形に捉われているとしたら、まだ目覚めは起きていません。
「べきだ」も「ねばならない」もなく、自分が心地よいと思うことをして、好きなものを手に入れ、好きに生きだします。
聖者とはとか、覚者とはとかいうイメージからも完全に自由です。
コラボ講演会をやらせてもらう相棒は、みんなそういう人たちです。
でも個性が違うので生き方も違います。
真理はひとつですが、その真理の味わいは人の数だけあります。
あなたは、宇宙始まって以来、最初で最後のユニークな覚者となるのです。
今日もここを訪れてくれて、ありがとうございました。

いままで認識してきた「自分」や「人生」以上の何かを求める段階に、多くの人たちが入っています。
それは地上生命としての最終段階です。
世の中にはまだ、霊的真実に対してまったく無関心な人たちもいますが、やがて彼らも、いまあなたがいる段階に達し、さらにあなたは次の段階にジャンプすることでしょう。
いつも言うように、確かに現象としての早い遅いはあるのですが、みな同じものの一部であることに変わりなく、また究極的には時間が存在していないので、すべて同時に起きているとも言えます。
さて、自分が覚醒したかどうかどうしたらわかるか、と聞かれることがありますが、そのような質問が出ること自体、まだ目覚めが起きていないことを表しています。
覚醒の大きな特徴は、真理の探究に対するあらゆる質問が止むことです。
知的に知らなければならないことが無くなります。
もちろん専門知識や専門用語の意味を尋ねることはありますが、いわゆる趣味のレベルであり、本質的な問いかけは消えています。
真理に対する議論もなくなります。
たとえ否定されようと、反対意見を持ち出されようと、議論にはなりません。
相手が学びたいという思いから意見を言っているのであれば、その人が理解できる言葉を使って説明しますが、相手の態度が決まっている場合は、こちらが折れて同調するか、その場を離れるかどちらかです。
たとえ自分の意見を曲げて相手に合わせたとしても、真理は何も変わりません。
不毛な議論に労力を費やすよりずっとマシです。
もし僕が、とある宗教に入信しろと言われて、もし入らなければ痛い目に合わせると脅迫されたら、さっさと入信します。
そしてその宗教が奨励する「正しい祈りかた」を始めることでしょう。
何のスタイルもありません。
四角い容器に入れば四角に、丸い容器に入れば丸くなり、水のように自由自在です。
もし何かの形に捉われているとしたら、まだ目覚めは起きていません。
「べきだ」も「ねばならない」もなく、自分が心地よいと思うことをして、好きなものを手に入れ、好きに生きだします。
聖者とはとか、覚者とはとかいうイメージからも完全に自由です。
コラボ講演会をやらせてもらう相棒は、みんなそういう人たちです。
でも個性が違うので生き方も違います。
真理はひとつですが、その真理の味わいは人の数だけあります。
あなたは、宇宙始まって以来、最初で最後のユニークな覚者となるのです。
今日もここを訪れてくれて、ありがとうございました。

Posted by Toshiro Abe at
11:39
│Comments(148)
2012年05月06日
ご報告
あれから応急措置をしてもらいに救急病院に行ったのですが、患部の箇所が内側からの影響も考えられるということで、レントゲンや何やら様々な検査を行うことになりました。
とにかく検査なるもの成人してからやったことがなく、もちろん「人間ドック」など話に聞くだけで、いまでも病院で犬のように暮らすイメージがあって、いったい中で何をやっているのかミステリーのままです。
ずいぶん昔から、一度精密検査をするようにと周囲から言われ続けてきましたが、なんとなく今日まで来てしまいました。
で今回の検査結果は・・・極めて良好、異常なし。
筋肉疲労ではないかとのお話ですが、僕もオーバーワークは自覚していて、体に何かと無理をさせたのだと思います。
具合が悪くなって初めて体のありがたみがわかるのだから、自分の愚かさがよく見えます。
ご心配おかけしました。
そしてたくさんのアドバイス、ありがとうございました。
昨日は関西圏のみなさんとご一緒させてもらいましたが、会場の雰囲気は極めて明るく、あれやこれやみなさんのおかげで、体も一気に回復しました。
これを機に、無理をせずにやっていこうと思います。
今日は何一つメッセージらしきものが書けませんでしたが、とりあえずご報告とお礼まで。
明日からはまた、みなさんの愛を100倍返しで記事を書いてみます。
あなたに宇宙規模の良きことが起きますように。

とにかく検査なるもの成人してからやったことがなく、もちろん「人間ドック」など話に聞くだけで、いまでも病院で犬のように暮らすイメージがあって、いったい中で何をやっているのかミステリーのままです。
ずいぶん昔から、一度精密検査をするようにと周囲から言われ続けてきましたが、なんとなく今日まで来てしまいました。
で今回の検査結果は・・・極めて良好、異常なし。
筋肉疲労ではないかとのお話ですが、僕もオーバーワークは自覚していて、体に何かと無理をさせたのだと思います。
具合が悪くなって初めて体のありがたみがわかるのだから、自分の愚かさがよく見えます。
ご心配おかけしました。
そしてたくさんのアドバイス、ありがとうございました。
昨日は関西圏のみなさんとご一緒させてもらいましたが、会場の雰囲気は極めて明るく、あれやこれやみなさんのおかげで、体も一気に回復しました。
これを機に、無理をせずにやっていこうと思います。
今日は何一つメッセージらしきものが書けませんでしたが、とりあえずご報告とお礼まで。
明日からはまた、みなさんの愛を100倍返しで記事を書いてみます。
あなたに宇宙規模の良きことが起きますように。

Posted by Toshiro Abe at
11:20
│Comments(226)
2012年05月05日
5月5日
健康だけが取り柄だったのに、昨日の朝から背中下部の片側の筋肉に激痛が走る。
腰ではないのだが、これが世に言う「ぎっくり腰」だろうか
かなり不便だね(^o^;)
体を大切にしろというシグナルだと受けとめよう。
いつもは年齢を意識したことがないけれど、こんな時に教えてもらっているのかもしれない。
来年の誕生日が来たら・・・60歳?!!
そういえば昔、ある友人が、「僕は60歳になったらロックバンドを結成するんだ」なんて言っていて、それを聞いたときは何を言っているんだろうと思ったけれど、60歳になっても自分の内側は何も変わらないので、彼はそれを見越していたのだろう。
僕もバンドデビューしようかな。
それとも「ジャニーズシニア」に入ろうか。
そんなのないか(笑)
いままでの人生のすべては、今日という日のためにあったのだと実感しながらの毎日だ。
僕の人生は中途半端なことが多かったけど、その中途半端が全部いまの活動に役立っているのだから、その時その時、心のままに生きてきてよかったと思う。
人生無駄なし・・・だね。
それにしても、ほんの少し動いただけで背中がひどく傷む。
またちょっと悪化したかな。
救急を探してみます。
数十年ぶりの病院だ。
あっ、今日は5月5日か。
僕と大の仲良しだった男の誕生日だ。
奴はもう何年も前に逝ってしまったけれど、若いころに残してくれた歌詩の一部を紹介しよう。
「歌は世につれ」
死にたい時も 何度かあった
自分が嫌になることだって
泣き言だらけの僕の隣に
君が笑って座っていてほしい
歌は世につれ 僕は思う
足並みをそろえすぎて流れてしまう
いつでも
いつでも
詩曲 天野滋
YouTube「歌は世につれ」

腰ではないのだが、これが世に言う「ぎっくり腰」だろうか
かなり不便だね(^o^;)
体を大切にしろというシグナルだと受けとめよう。
いつもは年齢を意識したことがないけれど、こんな時に教えてもらっているのかもしれない。
来年の誕生日が来たら・・・60歳?!!
そういえば昔、ある友人が、「僕は60歳になったらロックバンドを結成するんだ」なんて言っていて、それを聞いたときは何を言っているんだろうと思ったけれど、60歳になっても自分の内側は何も変わらないので、彼はそれを見越していたのだろう。
僕もバンドデビューしようかな。
それとも「ジャニーズシニア」に入ろうか。
そんなのないか(笑)
いままでの人生のすべては、今日という日のためにあったのだと実感しながらの毎日だ。
僕の人生は中途半端なことが多かったけど、その中途半端が全部いまの活動に役立っているのだから、その時その時、心のままに生きてきてよかったと思う。
人生無駄なし・・・だね。
それにしても、ほんの少し動いただけで背中がひどく傷む。
またちょっと悪化したかな。
救急を探してみます。
数十年ぶりの病院だ。
あっ、今日は5月5日か。
僕と大の仲良しだった男の誕生日だ。
奴はもう何年も前に逝ってしまったけれど、若いころに残してくれた歌詩の一部を紹介しよう。
「歌は世につれ」
死にたい時も 何度かあった
自分が嫌になることだって
泣き言だらけの僕の隣に
君が笑って座っていてほしい
歌は世につれ 僕は思う
足並みをそろえすぎて流れてしまう
いつでも
いつでも
詩曲 天野滋
YouTube「歌は世につれ」

Posted by Toshiro Abe at
09:45
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2012年05月03日
5月3日の日記
昨日の夜、名古屋に到着。
かなりのハードスケジュールですが、ボブさんは楽しそうです。
今日は5月3日。
生まれ育った浜松では大きなお祭りが開かれます。
なんてことないお祭りですが、子供のころはハッピ姿の大人への憧れを胸に、お祭りの日を指折り数えていました。
大人は子供の自分にはわからない何かを知っていると思っていたので、彼らの立ち振る舞いを真似ていましたが、いま思えば彼らも何も知らずに、悩み苦しみながら生きていたんですね。
人が見ている世界が、その人独自の創作物だということに気付いたのは衝撃的でした。
独りよがりの世界で悪戦苦闘して送る人生は、ゲームと呼ぶにはあまりにも大変です。
その大変さのすべてが、自分を救済する推進力になるのですから、大変さの中には宝が隠されているわけです。
悲しむ者は幸いだと言ったイエスの言葉が心に響きます。
僕には人の悲しみを無くすことはできないけれど、せめて「それでいいんだよ」と伝え続けていきたいと思います。
名古屋の後は、大阪、札幌、博多、そして僕は沖縄へ、ボブさんはタイに帰ります。
今日もいい日でありますように。

・・・・・・・・
5月東京講演会は満席となりました。
次回は6月24日に予定しています。
月末に受付を開始します。
ありがとうございました。
かなりのハードスケジュールですが、ボブさんは楽しそうです。
今日は5月3日。
生まれ育った浜松では大きなお祭りが開かれます。
なんてことないお祭りですが、子供のころはハッピ姿の大人への憧れを胸に、お祭りの日を指折り数えていました。
大人は子供の自分にはわからない何かを知っていると思っていたので、彼らの立ち振る舞いを真似ていましたが、いま思えば彼らも何も知らずに、悩み苦しみながら生きていたんですね。
人が見ている世界が、その人独自の創作物だということに気付いたのは衝撃的でした。
独りよがりの世界で悪戦苦闘して送る人生は、ゲームと呼ぶにはあまりにも大変です。
その大変さのすべてが、自分を救済する推進力になるのですから、大変さの中には宝が隠されているわけです。
悲しむ者は幸いだと言ったイエスの言葉が心に響きます。
僕には人の悲しみを無くすことはできないけれど、せめて「それでいいんだよ」と伝え続けていきたいと思います。
名古屋の後は、大阪、札幌、博多、そして僕は沖縄へ、ボブさんはタイに帰ります。
今日もいい日でありますように。

・・・・・・・・
5月東京講演会は満席となりました。
次回は6月24日に予定しています。
月末に受付を開始します。
ありがとうございました。
Posted by Toshiro Abe at
10:32
│Comments(111)
2012年05月02日
目覚めの前後
tontonさんのコメント
正直、どうなんでしょう?
目覚めを体験された方たちは、全然特別ではないって思いますか?
まだ、目覚めていない人に対して、全く優越感を感じることはないのでしょうか?
この質問は、目覚めの前の状態から、目覚めを想像して寄せられています。
ひとつ言えるのは、目覚めとは、目覚め前に想像したものとは全く違うものだということです。
目覚めの前、僕たちはそれぞれに夢を紡ぎだして、それを現実だと思っています。
しかしその現実は、個々の判断や解釈を通して作り出した、自分本位の世界にすぎません。
その世界の中で、人は悩み苦しみ、あるいは束の間の休息や満足感を得ています。
目覚めの体験が本物であれば、たとえそれが一瞬の出来事であれ、人生観は一変します。
何もかもが根底から覆ります。
目覚めを垣間見た後に、またお馴染みの自我が始まったとしても、以前とはまるで違う世界観を持つようになります。
何秒間目覚めていたかは関係ありません。
たとえそれが0,1秒だったとしても同じです。
なぜなら、そこで見たものは時間を超えた「永遠」であり、1秒間だろうと100年間だろうと、長さの問題ではないからです。
さてtontonさんの質問ですが、目覚めた後に、目覚め前の人に対して優越感を持つことがあるかどうか。
その答えは「NO」です。
決してあり得ません。
目覚めたことで、目覚め前の人が持っていないものを得ることはありません。
むしろ多くを失くすことになります。
その中には、優越感と劣等感も含まれています。
優越感と劣等感は同じものの裏表であり、その両方を失うことになります。
我々が同じ一つのものであることを知れば、比較はなくなります。
比較がなければ優劣もありません。
でも目覚めの前には、自分が何者か分からないので、他者との比較を通して自分の位置を探ろうとします。
そして自分よりも優れた人や、自分が知らないことを知った人に嫉妬します。
自我はそのような相手に会うと、自分が小さくなったような気がして不快になるのです。
目覚め前は依然として優劣の中にいます。
目覚めた人が、「自分は目覚めた」と公言することに慎重なのは、人間のそのような傾向を知っているからです。
もう一つの言わない理由は、目覚めたのは「自分」ではなく、単に目覚め自体が起こるということです。
その瞬間、それまでの「自分」は消えています。
目覚めた自分はいないので、「自分は目覚めた」とは言えなくなるのです。
目覚めは、あらゆる人の宿命です。
遅かれ早かれ、誰もが目覚めることになります。
そして目覚めのときは必ず「いま」であり、「いま」は時間の一部ではなく永遠の一部なので、目覚めに早いも遅いもありません。
何を自慢することがあるでしょうか。
同じものが、同じものに、優越感を持てるでしょうか。
伝えたいことはひとつだけ。
それは、「大丈夫だよ」という真実です。
心配いりません。
あなたの内側の衝動も含めて、起こることが起きていき、必ずあなたが本当の自分を思い出す日が来ます。
目覚めるために瞑想は役に立ちますが、瞑想も目覚めのためにするのではなく、ただ淡々と続けることが大切です。
すると目覚めは忘れたころにやってきます。
その時あなたは、僕の言葉が真実だと知るでしょう。

・・・・・・・・
5月東京講演会は、残り数席です。
詳細はコチラから。
正直、どうなんでしょう?
目覚めを体験された方たちは、全然特別ではないって思いますか?
まだ、目覚めていない人に対して、全く優越感を感じることはないのでしょうか?
この質問は、目覚めの前の状態から、目覚めを想像して寄せられています。
ひとつ言えるのは、目覚めとは、目覚め前に想像したものとは全く違うものだということです。
目覚めの前、僕たちはそれぞれに夢を紡ぎだして、それを現実だと思っています。
しかしその現実は、個々の判断や解釈を通して作り出した、自分本位の世界にすぎません。
その世界の中で、人は悩み苦しみ、あるいは束の間の休息や満足感を得ています。
目覚めの体験が本物であれば、たとえそれが一瞬の出来事であれ、人生観は一変します。
何もかもが根底から覆ります。
目覚めを垣間見た後に、またお馴染みの自我が始まったとしても、以前とはまるで違う世界観を持つようになります。
何秒間目覚めていたかは関係ありません。
たとえそれが0,1秒だったとしても同じです。
なぜなら、そこで見たものは時間を超えた「永遠」であり、1秒間だろうと100年間だろうと、長さの問題ではないからです。
さてtontonさんの質問ですが、目覚めた後に、目覚め前の人に対して優越感を持つことがあるかどうか。
その答えは「NO」です。
決してあり得ません。
目覚めたことで、目覚め前の人が持っていないものを得ることはありません。
むしろ多くを失くすことになります。
その中には、優越感と劣等感も含まれています。
優越感と劣等感は同じものの裏表であり、その両方を失うことになります。
我々が同じ一つのものであることを知れば、比較はなくなります。
比較がなければ優劣もありません。
でも目覚めの前には、自分が何者か分からないので、他者との比較を通して自分の位置を探ろうとします。
そして自分よりも優れた人や、自分が知らないことを知った人に嫉妬します。
自我はそのような相手に会うと、自分が小さくなったような気がして不快になるのです。
目覚め前は依然として優劣の中にいます。
目覚めた人が、「自分は目覚めた」と公言することに慎重なのは、人間のそのような傾向を知っているからです。
もう一つの言わない理由は、目覚めたのは「自分」ではなく、単に目覚め自体が起こるということです。
その瞬間、それまでの「自分」は消えています。
目覚めた自分はいないので、「自分は目覚めた」とは言えなくなるのです。
目覚めは、あらゆる人の宿命です。
遅かれ早かれ、誰もが目覚めることになります。
そして目覚めのときは必ず「いま」であり、「いま」は時間の一部ではなく永遠の一部なので、目覚めに早いも遅いもありません。
何を自慢することがあるでしょうか。
同じものが、同じものに、優越感を持てるでしょうか。
伝えたいことはひとつだけ。
それは、「大丈夫だよ」という真実です。
心配いりません。
あなたの内側の衝動も含めて、起こることが起きていき、必ずあなたが本当の自分を思い出す日が来ます。
目覚めるために瞑想は役に立ちますが、瞑想も目覚めのためにするのではなく、ただ淡々と続けることが大切です。
すると目覚めは忘れたころにやってきます。
その時あなたは、僕の言葉が真実だと知るでしょう。

・・・・・・・・
5月東京講演会は、残り数席です。
詳細はコチラから。
Posted by Toshiro Abe at
08:50
│Comments(137)
2012年04月30日
4月30日の日記
今日は朝の便で羽田から沖縄に向い、講演会があります。
ボブさんはまだタイ時間が体に残っていて大変だと思いますが、とても元気です(^o^)
さてと、昨日は東京のイベントに来てくれてありがとうございました。
相川美晴さん、いつもレポートありがとう。
坊主頭が素敵です。
大空さん、いつも適切なコメントありがとう。
昨日、来ていたんですね。
今度来たときは声をかけてください。
しゅんしゅんさん、遠いところからありがとう。
あなたが赴任先の沖縄で僕を知ったとのこと、嬉しく思いました。
そして昨日の会を楽しんでくれたようで、それも嬉しいです。
それ以外にも、受付を手伝ってくれた皆さんはじめ、来場してくれたあなたに、
ありがとうございました。
話は変わりますが、仲本さんのブログ、いいですね、
僕は最近、毎日のように覗くようになりました。
みなさんも、毎日の朝日を見てみてください。
それに仲本さんの人柄がホットさせてくれます。
それではみなさん、今日もよい一日をおすごしくだい(^o^)

ボブさんはまだタイ時間が体に残っていて大変だと思いますが、とても元気です(^o^)
さてと、昨日は東京のイベントに来てくれてありがとうございました。
相川美晴さん、いつもレポートありがとう。
坊主頭が素敵です。
大空さん、いつも適切なコメントありがとう。
昨日、来ていたんですね。
今度来たときは声をかけてください。
しゅんしゅんさん、遠いところからありがとう。
あなたが赴任先の沖縄で僕を知ったとのこと、嬉しく思いました。
そして昨日の会を楽しんでくれたようで、それも嬉しいです。
それ以外にも、受付を手伝ってくれた皆さんはじめ、来場してくれたあなたに、
ありがとうございました。
話は変わりますが、仲本さんのブログ、いいですね、
僕は最近、毎日のように覗くようになりました。
みなさんも、毎日の朝日を見てみてください。
それに仲本さんの人柄がホットさせてくれます。
それではみなさん、今日もよい一日をおすごしくだい(^o^)

Posted by Toshiro Abe at
09:15
│Comments(131)
2012年04月29日
ただのつぶやき
ボブさんが来日しました。
いつもながら温かい波動に満ちている人だなと。
人間、温かみが一番大切かも。
ニッコリ微笑んでくれると、気持ちがホッコリする。
今日は忙しくて何も書けません。
またひと段落したら書きますね。
よいGWをお過ごしください。

いつもながら温かい波動に満ちている人だなと。
人間、温かみが一番大切かも。
ニッコリ微笑んでくれると、気持ちがホッコリする。
今日は忙しくて何も書けません。
またひと段落したら書きますね。
よいGWをお過ごしください。

Posted by Toshiro Abe at
10:08
│Comments(65)
2012年04月27日
朝日の写真
昨日いただいたコメントの中に、くるくまの仲本さんは写真家ですかと書いてくれた人がいましたが、プロの写真家ではありません。
大きなハーブ畑や、健康に良い薬草の畑などが広がる「くるくま」の地には、「くるくまレストラン」があり、毎日大勢の人たちでにぎわっています。
そもそもこの広大な土地は、仲本さんが呼ばれるようにして引き寄せられ、原野のような状態だったものを整備していったものです。
その途上で縄文時代の遺跡が見つかり、また昔から祈りの場所であった痕跡が見つかりました。
きっと昔から特別な場所だったのでしょう。
仲本さんが毎朝、朝日の写真を撮りだして2200日、先日六周年を迎えたそうです。
始めた時は初心者だったそうですが、でもきっと続ける中で、いろんな発見があって、ますます美しい写真が撮れるようになったのでしょうね。
それと仲本さんが持つ、感謝や祈りの気持ちが、あの写真を撮らせていると思います。
毎日、その日の沖縄の夜明けがアップされているので、覗いて見てください。
仲本勝男の出逢いは宝
朝日って誰もが思わず手を合わせたくなってしまう何かがありますね。
太陽がなけれ、何もないわけで、あきらかに地球を生かしている力です。
いったい、どなた様なのか、とんでもない存在であることだけは確かですね。
今日もありがとうございます。
合掌

大きなハーブ畑や、健康に良い薬草の畑などが広がる「くるくま」の地には、「くるくまレストラン」があり、毎日大勢の人たちでにぎわっています。
そもそもこの広大な土地は、仲本さんが呼ばれるようにして引き寄せられ、原野のような状態だったものを整備していったものです。
その途上で縄文時代の遺跡が見つかり、また昔から祈りの場所であった痕跡が見つかりました。
きっと昔から特別な場所だったのでしょう。
仲本さんが毎朝、朝日の写真を撮りだして2200日、先日六周年を迎えたそうです。
始めた時は初心者だったそうですが、でもきっと続ける中で、いろんな発見があって、ますます美しい写真が撮れるようになったのでしょうね。
それと仲本さんが持つ、感謝や祈りの気持ちが、あの写真を撮らせていると思います。
毎日、その日の沖縄の夜明けがアップされているので、覗いて見てください。
仲本勝男の出逢いは宝
朝日って誰もが思わず手を合わせたくなってしまう何かがありますね。
太陽がなけれ、何もないわけで、あきらかに地球を生かしている力です。
いったい、どなた様なのか、とんでもない存在であることだけは確かですね。
今日もありがとうございます。
合掌

Posted by Toshiro Abe at
12:14
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2012年04月26日
For You
昨日は「かんながら・月光編」を読んでくれてありがとうございました。
『くるくま』は、沖縄本島の南、知念半島の高台にあります。
全国から多くの人々が訪れる、沖縄のスピリテュアルスポットです。
『くるくま』を経営する仲本さんは、70歳を過ぎたいまも毎朝、『くるくま』の丘から昇る朝日を写真に収めています。
雨の日も風の日も、一日も休むことなく、すでに1300日を超えたと聞いています。
今日はちょっと志向を変えて、仲本さんの写真をもとに、台風ライブの3年後に作った『くるくま』の歌を、YouTubeにアップしました。
背景に出てくる朝日は、1300日分の写真から抜粋させていただきました。
あなたに、たくさんの幸福が訪れますように。
アップした歌
↓
For You

『くるくま』は、沖縄本島の南、知念半島の高台にあります。
全国から多くの人々が訪れる、沖縄のスピリテュアルスポットです。
『くるくま』を経営する仲本さんは、70歳を過ぎたいまも毎朝、『くるくま』の丘から昇る朝日を写真に収めています。
雨の日も風の日も、一日も休むことなく、すでに1300日を超えたと聞いています。
今日はちょっと志向を変えて、仲本さんの写真をもとに、台風ライブの3年後に作った『くるくま』の歌を、YouTubeにアップしました。
背景に出てくる朝日は、1300日分の写真から抜粋させていただきました。
あなたに、たくさんの幸福が訪れますように。
アップした歌
↓
For You

Posted by Toshiro Abe at
08:55
│Comments(113)
2012年04月25日
神の声
いまも大好きな沖縄。
移住して11年になります。
言葉にすると誤解があるかもしれませんが、僕は人生で何度か神を体験しました。
しかし沖縄でのそれは、少し趣が違っていました。
あまりに不思議な出来事だったので、その2日後に、忘れないようにと、ことの経緯を詳しく文章にして残しました。
まさか将来、ブログを通してたくさんの人に読んでもらえる機会が訪れるとは思っていなかったけれど、こうして詳細を残しておいてよかったと思っています。
あの当時は文章を書きながら、なんて馬鹿なことを書いているんだと気恥ずかしくもありました。
でもとにかく事実だけを綴っておこうと心に決めたのです。
それが今頃になって、あの時なにが起きたのか理解できるようになりました。
あの時、腹の底から湧きあがるような声で
「この現実を、誰が作っていると思っているのだ」
と僕に語りかけた神の声は、まさに神の声であり、なぜあのような言い方だったのか、なにが言いたかったのか、いまの僕には理解できます。
神とは本当の自分自身であり、宇宙には神しか存在せず、したがって宇宙には自分しか存在していないのです。
すべての現象は自分の意識が作り出しています。
この場合の「自分」とは、個人としての自分ではなく、大いなる自分です。
いままでにも何度も繰り返してきましたが、僕たちが人生で学ぶべき唯一の真実がこのことです。
この真実の中に、他のあらゆる真実が含まれているのですから。
2004年に起きたあの出来事は、8年経ったいまも色褪せることなく、心の中に息づいています。
このような出来事は、違った形で、あなたの人生にも起こっていることだと思います。
時間があるときにでも読んでみてください。
「かんながら・月光編」

・・・・・・・・・
【お知らせ】
今日から5月東京講演会の申し込みを開始します。
詳しくはコチラから。
移住して11年になります。
言葉にすると誤解があるかもしれませんが、僕は人生で何度か神を体験しました。
しかし沖縄でのそれは、少し趣が違っていました。
あまりに不思議な出来事だったので、その2日後に、忘れないようにと、ことの経緯を詳しく文章にして残しました。
まさか将来、ブログを通してたくさんの人に読んでもらえる機会が訪れるとは思っていなかったけれど、こうして詳細を残しておいてよかったと思っています。
あの当時は文章を書きながら、なんて馬鹿なことを書いているんだと気恥ずかしくもありました。
でもとにかく事実だけを綴っておこうと心に決めたのです。
それが今頃になって、あの時なにが起きたのか理解できるようになりました。
あの時、腹の底から湧きあがるような声で
「この現実を、誰が作っていると思っているのだ」
と僕に語りかけた神の声は、まさに神の声であり、なぜあのような言い方だったのか、なにが言いたかったのか、いまの僕には理解できます。
神とは本当の自分自身であり、宇宙には神しか存在せず、したがって宇宙には自分しか存在していないのです。
すべての現象は自分の意識が作り出しています。
この場合の「自分」とは、個人としての自分ではなく、大いなる自分です。
いままでにも何度も繰り返してきましたが、僕たちが人生で学ぶべき唯一の真実がこのことです。
この真実の中に、他のあらゆる真実が含まれているのですから。
2004年に起きたあの出来事は、8年経ったいまも色褪せることなく、心の中に息づいています。
このような出来事は、違った形で、あなたの人生にも起こっていることだと思います。
時間があるときにでも読んでみてください。
「かんながら・月光編」

・・・・・・・・・
【お知らせ】
今日から5月東京講演会の申し込みを開始します。
詳しくはコチラから。
Posted by Toshiro Abe at
08:56
│Comments(141)




