2010年02月09日

幼い頃

本当は純真だったんだよね、僕たちみんな。

みんなのことが好きだったし、あの人とこの人を分け隔てしたり、批判したりしなかった。


笑いたいときは体中で笑って、泣きたい時は手放しで泣いた。


自分と共に生きていた。


何にでもすぐに夢中になった。


自分に正直だったし、素直な気持ちで生きていた。



そんな幼い頃の自分が持っていて、大人になった今、忘れてしまったものを取り戻そうとしている・・・結局はそういうことじゃないかと思う。



人生でいろんなものを手にしてきたけれど、それらが必ずしも自分を幸せにしてくれるわけではないことがわかってきた。


言葉をたくさん覚えて、正しさをたくさん覚えて、それと共に、正しくない自分の内面をたくさん発見して、そうやって自分を嫌いになっていったような気がする。


だから、もう一度元に戻りたいと思う。

あの純真だった頃にね。




それはいまも変わらず、心の底で生きつづけています。

誰の中にも変わらずにあるんです。


ただ、余計なものが付いてしまっただけで、それを失くしたわけじゃない。


これからの僕たちに必要なのは、新しい何かを得ることではなく、元々あった自分本来の姿に戻ることだと思います。



「幼子のようにならなければ、天の王国には入れない」(マタイ伝)



そのためには、何もせず、ただ静かに座ること。

呼吸を整えて、何も期待しないで、ただ静かに待ち続けること。


すると、いつの間にか、「彼」が顔を出します。

それは純真無垢な、自分の本性です。



そこに自由への一瞥があります。

それは、ずっとずっと探し続けてきた、心の故郷です。




今朝は、そんなことを思いました。




・・・・・・・・




今夜の沖縄いまここ塾と、明日の水曜の会は、どちらも那覇市てぃるるで19時半からです。

予約は要りませんから、気軽にお越しください。
  

Posted by Toshiro Abe at 08:44Comments(13)

2010年02月07日

神戸

神戸、ありがとう。

すごく楽しい時間でした。


初めての生ライブはいかがでしたか。

天河の楽士の慧奏さんと一緒に演奏すると、エネルギーの渦に巻き込まれる感覚になります。


講演会とライブ演奏のコラボ、いろんな地方の人たちに見てもらいたいと思いました。

これは、もしかしたら独自のパフォーマンスなのかもしれません。


同じメッセージでも、演奏が入ると立体的になります。

天河「かんながらパワー」を、いつか、みなさんに浴びせにいきますね(^o^)



今日はどうもありがとうございました。
  

Posted by Toshiro Abe at 19:01Comments(38)

2010年02月07日

2月7日の記事

みなさん、いつもコメント残してくれてありがとう。

ここに訪れる人たちが、表の記事だけではなく、みなさんのコメントを読むのが楽しみだというのか、よくわかります。


昨日も、とても的確な意見を書いてくれた人たちがいて、ありがたく読ませてもらいました。


日野さんにも何かレスをと思いながらも、結局書く時間がありませんでしたが、レスしてくれた方、どうもありがとうございました。




それから、病や肉体的痛みに関する質問があります。

講演会の場でも時折寄せられます。


自分が経験していないことを知的に答えるのは、抵抗があります。

僕が語ることは、自らの経験に基づいた一次情報であるべきと考えるからです。


もしここに来られる方で、痛みに苦しんでいる人へのアドバイスがありましたら、よろしくお願いします。



今朝の神戸はずいぶん冷え込んでいます。



よい日曜日をお過ごしください。
  

Posted by Toshiro Abe at 09:06Comments(27)

2010年02月06日

2010年2月6日の日記

家族がNHKの「龍馬伝」を録画していたので、何気に見てみました。


そこには、下級藩士の龍馬が、上級武士の若者に叱責されて、田んぼの畦道(あぜみち)で、土下座しているシーンがありました。


土下座している本人は、龍馬役の福山雅治さんです。


さて、福山さんはこのとき、心の中に屈辱を感じていたでしょうか。

もし何らかの屈辱を感じていたとしても、それは役に成り切る為の感情移入であって、実際には、そのような感情はなかったでしょう。

もしあれば、後々までも相手役を恨むでしょうが、そんなはずがありません(笑)


なぜ、民衆の前で土下座までして、屈辱を感じないのでしょう。

それは彼が、実際には自分が役者で、これは芝居の上でのことだと知っているからです。




このことは、僕たちの人生も同じです。

僕たちの本当の姿は、「大いなる存在」(またの名を神)そのものです。

この人生でやっているのは、自分という仮の姿、社会から与えられた役柄です。


もしあなたが、本当の自分の偉大さを忘れなければ、現象界でどのような扱いを受けても、どのような悲惨な憂き目にあっても、なんら影響されることなく、その役を演じきることでしょう。


役と自分を同一化してしまうから苦しむのです。



あなたがどんなに忘れてしまっても、僕は本当のあなたを知っていますよ。


これからも思い切り演じきってください。

社会はそれを必要としています。



先日、名古屋いまここ塾で、社内のイジメにあっている女性がいましたが、あなたにもこのことを提案しましたね。

「演じきることです。」

そして自分が演じていることを忘れないこと。

そうしないと役と同化してしまいますから。



人生は舞台。

人生のストーリーと、自分の役柄に、あまり深刻にならないことです。

しょせんは、お遊びなのですから、魂までもすり減らす必要はありません。


気楽にいきましょう。




・・・・・・・・・・・



明日の神戸いまここ塾に、若干名分の席が増えました。

参加ご希望の方はコチラからお入りください。  

Posted by Toshiro Abe at 09:13Comments(46)

2010年02月05日

究極の道

今朝目が覚めて、いつもの日課であるブログを書くために仕事部屋に移動しようとして、ふと立ち止まりました。

いったい僕は毎日何を書こうとしているのか。

何を分かち合いたいんだろうと。



しばし目を閉じて、自分の気持ちを探り、整理してみました。


ひとつ確かだったのは、いま苦しんでいる人たちが、少しでも楽になってくれたらいいという思いです。

苦しみは、様々な誤解が重なって引き起きています。


その誤解の大元にあるのが「私」という概念です。


苦しみの大きさは、「私」という幻想の大きさだと言っても間違いではありません。

だからと言って、その「私」が幻想であるなどと、どうしたら理解できるのでしょう。



きっと、そのことに取り組んでいるのが、このブログの最終目的なのだと思います。


現在はスピリチュアルブームと言われ、多くの人が精神性に興味を持ち、それを学ぶために様々な情報を入手し、あちこちと先生を渡り歩き、自分(私)をより高めようとしています。


このブログにも、そのような人が訪れてくれていることでしょう。

しかし、そこで高めようとしている「自分」(私)とはいったい誰なんでしょう。

究極的には、そんな「自分」など存在していません。

それを見抜くことが、求めている悟りであり、目覚めなのです。


最初の段階においては、人はそのようなことに興味を持ちません。

何のことかわからないだけではなく、「自分」がいないなどということを受け入れるのは御免だからです。

そんなことが悟りならば、悟る必要はないと考えます。

世の中の大方の人は、まだこの段階に生きています。

だからと言って、それがいいとか悪いとかではありません。

どのような気づきにも、その人にふさわしい時節があるからです。


次の段階においては、いままでの人生の延長線上には何もないということを見抜き、それまでの「自分」を超えた新しい何かの存在を予感し、それを学びたいと思います。

それが六道輪廻を超えた「声聞界」(しょうもんかい)への入り口です。

また先日紹介した、十牛図の最初の一枚目にあたります。


そして様々な学びに身を投じるのですが、その結果、「自分」を超えたものに出会うのではなく、「自分」を高めているだけだという状態になりがちなのです。

(ここでいう「自分」とは「自我」のことですが、通常我々はその二つを同化しているので、今日は同じ意味として使っています)


昨日のコメント欄にも書きましたが、精神性の学びを「自分」を飾るコレクションにしてしまっているのです。

それが自己欺瞞です。

僕たちは、このような罠に陥りがちだということを、十二分に注意して、道を歩まなければなりません。



「自分」を超えた何かに至る・・・仏教的に言えば「空」(くう)なる次元に至る、あるいは解脱に至る、あるいはハイヤーセルフ、宇宙意識、真我、神と呼ばれるものとの合一を果たす。

それが僕たちが目指す王道であり、究極の道です。

それは経験的に見抜くことであり、実践によってもたらされます。

僕が瞑想を奨励するのも、そんな理由からです。



今日の記事は、人によってはちょっと解りにくかったかも知れませんね。

でも、このようなブログに興味を持ってくれたのですから、いつかきっとあなたの感性に合った言い方で説明できると思います。

そんな工夫をし続けることが、僕の役目の一つだと感じています。



今日もここに来てくれてありがとうございました。




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翻訳家の山川紘矢・亜希子夫妻とのコラボ講演会に、たくさんのお申し込みありがとうございます。

お申し込みはコチラからお願いします。
  

Posted by Toshiro Abe at 09:24Comments(36)

2010年02月04日

王様の部屋

昨日と一昨日は、東京から、中城村でのいまここ塾や、日常の僕を撮影するために、カメラやロケの人たちが来沖しました。

本当は沖縄らしいロケ地で撮影したかったのですが、天候が思わしくなく、結局は我が家のリビングで撮影しました。

撮影するなら、少しマシな服に着替えればよかったのですが、前夜に寝ていたシャツのまま、しかも後で鏡を見たら、胸の辺りに黄色いシミがガ-ン

まっ、これもありのままということで(笑)



その時、カメラマンの質問に答えるスタイルで撮影が進んだのですが、非常にシンプルな質問が多く、質疑応答は楽しく実のあるものになりました。


その中にこんな質問がありました。


「目覚めることが、そんなに大切で、そんなに素晴らしいと気づき始めたなら、なぜ人は皆それを目指さないんですか?」



そうだよね。

目覚めの素晴らしさを全く知らないならともかく、これだけたくさん情報もあって、特に近年になって、多くの人が目覚めや悟りに興味を持ち出して、口々に「あと人生で得たいのは悟りだけだ」と言うのに、それでいて今までと同じ意識で生活しているのは何故だろう。

僕の周囲にも、そういう人が少なからずいます。



ある物語を思い出しました。


昔、昔、ある王国でのできごとです。



その国の王様には跡継ぎがいませんでした。

年老いた王様は、国の安定のために、国中の有志の中から、次の国王を選び出すというお触れを出しました。

身分や経歴は問いません。

純粋な気持ちで、やる気のあるものならば、誰にでもそのチャンスがありました。


王様自身が面接することになり、宮殿奥の謁見室で待つことにしました。

噂を聞きつけ、国王になりたい者たちが、その当日こぞって宮殿にやってきました。


その日だけは、誰彼かまわずに、宮殿の中で王様と同じ暮らしを許されました。


ご馳走が振舞われ、踊りを楽しみ、贅沢な一日に人々はすっかり魅了され、酔いしれました。

そして唯一の目的だった、王様との謁見をすっかり忘れてしまったのです。


王様は一日中待っていましたが、誰一人現れることはありませんでした。

誰にでもチャンスがあったのに、誰も国王になることができませんでした。


もし国王になれば、毎日のようにその贅沢な暮らしが楽しめたのにです。

ところが民衆は、たった一日の享楽を選んだのです。



この話は、永遠の至高の宝の存在を聞きながら、刹那的な欲望を選んでしまう人間の愚かさを教えています。


この世で得たものは、すべて一夜限り(今生限り)のものに過ぎません。

死がすべてを奪い去っていきます。

しかもそこで手に入れたものは、心の底からの満足を与えてくれるものでもありません。

何か一つ手に入れても、もっともっと欲しくなる、底なしのゲームなのです。


しかし、悟りは、目覚めは、永遠の宝を手に入れることができます。

その宝は、地上の宝の何万倍も素晴らしく、この上ない幸福感に満たされると言うのに。



あなたは、残りの人生で何を得たいですか。



僕のところに来ませんか。


王様の部屋に案内しますよ。
  

Posted by Toshiro Abe at 09:33Comments(34)

2010年02月03日

山川紘矢さんと亜希子さん

去年の秋、僕が初めて翻訳家の山川紘矢さん自身が書かれた本を読んだとき、ここまで同じ事を感じている人がいるのかと思いました。

次に山川亜希子さんの本を読んだときも、まったく同じ事を感じました。

お二人の本は、それぞれに切り口もトーンも違うのですが、どちらもまさに僕が感じていることそのものでした。



お二人のことは昔から知っていました。

少しばかり早く、存在の本質に目覚めたせいか、自分の周囲にはそのことを話せる仲間がほとんどいなかったのですが、お二人が翻訳した本は、まさに我が意を得たりの心境でした。

「なまけ者のさとり方」は、いつもバッグに入れて持ち運んでいましたし、「ホワイト・ホール・イン・タイム」からは、多くの啓示を受けました。


このような本を翻訳するのですから、お二人共に深い理解を持ち合わせているとは思っていましたが、ご自身が書かれた本を読ませてもらって、それが確信になりました。



で、思ったんです。


「会いたい」



そのことをブログに書いたら、それを読んですぐに連絡を取ってくれた人が現れ、翌日にはご本人からメールをいただいていました。

まさにネット時代の恩恵です。


それからまもなく、実際にお会いし話をすることができました。



で、思ったんです。


「みんなの前でしゃべりたい」



雲 黒斎クンとも、向和尚ともそうなのですが、まったく違う生き方をしてきた、まったく違う個性たちが、まったく同じ真実を語ることで、その信憑性が増し、説得力が強まると思うのです。

そのようなイベントはありそうでないので、僕としても積極的に展開していきたいと思っています。



さて、お待たせしました。


「レディース アンド ジェントルメン!

山川ご夫妻と、阿部敏郎とのコラボ講演会の開催です!!」


わー、パチ、パチ、パチ、パチ・・・(歓声のつもり)



3月20日(土)

国際ファッションセンター(東京・両国) 


昼の部  14:00~16:00

山川紘矢 & 阿部敏郎

「覚醒の時代」



夜の部  18:00~20:00

山川亜希子 & 阿部敏郎

「大丈夫、すべてはうまくいっている」


当日は、お三人(僕も入っています)の、本の即売とサイン会も予定しています。



今日から受付を開始します。


お申し込みはコチラから。



お二人のプロフィールはコチラから。



・・・・・・・・・



2月7日の「神戸いまここ塾」の受付は終了しました。

たくさんのお申し込みありがとうございました。
  

Posted by Toshiro Abe at 08:46Comments(24)

2010年02月01日

イメージの習慣

僕の中で習慣になっていることがあります。

すでにあたりまえになっていたので、あえて気づかなかったのですが、今朝、ホテルの部屋の清掃をしてくれる女性に挨拶したとき、「あっ、いつもこういう自分がいる」と気づきました。


それは絶えず、無意識に、あるイメージを持つようにしているんです。

どんなイメージかと言うと、相手の中で生きているのは自分自身だというイメージです。


自分が感じている内側の感覚(存在の感覚)と、まったく同じものが、相手の体の中から、外を覗いているというイメージです。


実はこれは真実なのですが、とかく「自己」という思いに囚われがちな毎日の中では、つい見落としてしまいがちのことです。

自分は相手とは違う、相手は自分とは違うという感覚をあたりまえに信じています。


でも常にそのようなイメージを持とうとすると、僕たちが「ひとつの同じもの」だということが、感覚的にわかってきます。


そうすると、リラックスし、安心した気持になれるのです。



昔、こんな小話を聞いたことがあります。


ある男が地獄に行ったら、そこに暮らす住民たちは、みんな自分とはまったく異質の、まったくの他人ばかりで、おたがいが強い分離感の中で用心深く暮らしていました。


次に天国に行ってみると、そこに暮らす人たちは、みんな自分と同じような人達で、お互いにそれを認識しあい、同朋意識持って暮らしていました。


天国と地獄の違いは、それだけだったというのです。

僕はこの話は、うまく真実を突いていると思います。



僕たちが、同じ源泉から生かされている、ひとつの同じ命だということを感覚として定着させるためにも、さきほどお伝えしたイメージの習慣は役に立ちます。


もし世界中の人が、そのことに気づいたら、世界の問題はたちどころに消えてなくなりますね。

あとは僕たちみんなで、お互いの表面的違いを認め合い、協力し合って仲良く生きていくことしか残されないからです。



数年前に作った歌詞にこんなのがあります。




この世のすべての悲しみに

もしも意味があるというなら

この世のすべての悲しみは

どこにたどり着くのだろうか




そして2番の冒頭で


生まれた場所は違うけれど

顔も名前も違うけれど

本当は僕らが「ひとつ」だと

気づくために生きているのだろう



と続きます。


この歌は数年前に沖縄を励ますために作った歌で、下地勇君とのコラボCDに収め、台風被害にあった宮古島に収益金を寄付してきましたが、その役目も終えたので、みなさんにこのCDをプレゼントします。

明日の沖縄いまここ塾(中城村)で配布しますね。(先着100名様)




それと今度の日曜日に、神戸でいまここ塾があります。

この時は、「かんながら」の講演会も兼ねてみたいと思っていますが、そこに天河神社の楽士の慧奏さんを招いて、ふたりで即興のセッションをお届けします。


会場は神戸芸術センターというコンサートホールです。(残り席わずか)



詳しくはコチラからお入りください。






今日もここに来てくれてありがとうございました。
  

Posted by Toshiro Abe at 10:50Comments(35)

2010年01月31日

講演会を終えて

昨日も今日も、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。


何よりも、みなさんが心で聞いてくれたのがわかるので、僕の魂が喜んでいます。



うまい言葉が見つかりませんが、どうもありがとうございました。  

Posted by Toshiro Abe at 17:51Comments(23)

2010年01月31日

1月31日の日記

どなたに会っても、初めて会ったような気がしないのが不思議です。

起きることが起きる。それ以外は決して起きない。

このシンプルな真実から見れば、会う人とは会うように定められているのだと思います。

僕は僕で、そしてあなたはあなたで、無数の出来事の組み合わせによって実際にお会いするのですから、まさに出会いは奇跡ですね。



最初のころ、講演が始まる前に、何を話したらいいのか、あれこれ考えた時期がありました。

しかし、いまはそのようなことがありません。



いつも始まる前に思うのは、今日もメッセージを流すための、中空の竹に成りきろうということです。

そして伝えたいことは、ただひとつ。

誰もがみな、神から愛され、守られているということ。

だから心配しなくても大丈夫だということ。


こうして文字にすると、まるで宗教家のような言い方になってしまいますが、流れてくるメッセージは、究極的にはそれだけのような気がします。


僕は宗教家ではなく、むしろ宗教を離れた立場から、本来宗教が担うべき真実の伝達を、やらせてもらっているのだと思っています。




いまから名古屋に向かいます。

今日も新しい出会いがあります。



日々是好日  

Posted by Toshiro Abe at 08:15Comments(18)

2010年01月30日

十牛図

自我君自身のことを知るためには、自我君のことを「あっ自我君だ!」って気づくことが必要です。

そうやって客観的に気づくことができたら、その時は自我君との自己同化から離れています。


今日は自我君を「私」と呼ぶことにします。

そのほうが直接的でわかりやすいかもしれません。

「私」とは通常感じている自分のことです。


深い瞑想状態や、何かの拍子に、「私」から離れることがあります。

もし離れることができたら、そこに新しい何かを発見します。


「あれ?いままで自分のことを「私」だと思っていたけど、その「私」を超えている私は、いったい誰だ?」

そう、それが「大いなる自分」の一瞥です。



これは禅の十牛図(じゅうぎゅうず)という、悟りの段階を表した10枚の絵の中では、3枚目の「見牛」にあたり、いわゆる見性体験です。

ちなみに最初の2枚では、悟り(大いなる自分)に興味を持ち、学び始める段階を表しています。


十牛図では、大いなる自分を牛に喩えているのです。

その時代、最もダイナミックなエネルギーを表すのに、牛が一番身近で解りやすい喩えだったのでしょう。



十牛図では、「見牛」の後、


「得牛」(また見失ってしまいそうな大いなる自分を、捕まえる段階)


「牧牛」(大いなる自分を自分自身として馴染ませていく段階)


「騎牛帰家」(私と大いなる自分がひとつに調和した段階)


「忘牛存人」(大いなる自分という概念さえ消えて、あるがままのあたりまえの存在になった段階)


と続きます。



興味深いのは「忘牛存人」において、大いなる自己という概念そのものを忘れるというもので、もし覚えていれば、まだあいかわらず「私」の他に「大いなる自分」が存在することになり、二元性の迷いに逆戻りしてしまうからです。


さらに次の段階では、「人牛倶忘」と言って、自分という存在そのものが消滅し、いわゆる空(くう)なるものが残ります。

そうなれば、悟りもなく、悟った人もなくなります。

もし「私は悟った」ということに固執すれば、そこにまた「私」が生じて、元のもくあみになる可能性があるからです。



さてこの十牛図は、本来「道教」のもので、その頃は8枚しかなかったんです。

「人牛倶忘」(空)で終わっていたんですね。



ここからが禅の凄いところで、廓庵禅師があと2枚付けたします。


ちなみに禅とは道教と仏教のあいのこで、中国思想とインド思想の大いなる合体です。

廓庵禅師は何を付け足したのでしょうか。



それは体感するものです。



こうして書くと、凄いことのように見えますが、実際には、ただあるがままに在るということで、もっともシンプルな状態に生まれ変わるという感じです。


それは僕たち本来の存在基盤で、実際にはいまも、僕たちは例外なくその上に生活しています。

ただ、余分なものをたくさん持ってしまっただけです。

その余分なものの結晶が「自我君」であり「私」なのです。


いまここ塾でも十牛図の話をしたことがありますが、つい僕たちは禅の世界を凄いこととして捉えてしまって、自分にはおぼつかないもののように感じてしまいがちです。

それは歴史的に男性社会の中で、何もかも権威付けてしまった後遺症のような気がします。



ほんとうは、一番あたりまえの世界なんです。


これからもこのブログや講演会などの機会に、そんな話をしていきたいと思っています。





いま、広島のホテルです。


実は今日の記事は、朝の6時から書き始め、何を書いても気に入らずに、結局は10時過ぎから書き始めたこの記事をアップします。



お疲れ様でした(笑)
  

Posted by Toshiro Abe at 10:49Comments(29)

2010年01月29日

隠居爺の独り言

いやあ、今日もよく来てくれました。

アタシも毎日暇してるもので、アンタみたいな若い人が訪ねてきてくれると、嬉しゅうてね。


そんじゃ今日も何かしゃべってみるとしましょうか。



毎日の生活の中で、嬉しいことが起きたり、いやなことが起きたりするでしょ。

状況はめまぐるしく変わっていきますね。

でもその間中、自分の中には何も変わらずに在り続けるものがあるんですよ。


それは静かで、安定していて、限りなく満たされた存在でね。

何を目指すでもなく、ただ「ありのままのいま」を見つめているんです。


いつだってそうですよ。

もちろん「いま」もね。

その自分と一緒にいることが、本当の満足を得る道でしてね。



自我君には、どうしてもそれが信じられませんのじゃ。

それもそのはず、自我君はその存在を見たことがないからね。

なぜかと言うと、その存在は、自我君が消えたときに残っているものだから。



自我君はね、周囲に幸せでない理由を見つけ出し、自分の力で幸せになろうとします。

しかし幸せになれないんですな、これが。


そこには決定的な理由があるんですよ。

その理由とは、自我君の特性は、批判し、否定し、拒絶し、いまではない何かを得ようとすることですからね。

もっと端的に言えば、不幸でいることが自我君の存在理由なんですよ。

そんな自我君の声に耳を傾けている限り、絶対に幸せになりませんよ。

そもそもそれは、幸せ用に作られていないんだから。


したがって、自我君の大きさが不幸の大きさであり、自我君が薄れた分だけ幸せと満足を感じることができます。

世の中に不幸が蔓延しているのは、この単純な事実を見逃しているからですね。



自我君は問題を見つける名人でね。

そして、自分の日常を、その問題を解決するために使おうとするんです。

アンタの人生は、一連の問題を解決するためのものになってしまっていませんか。



探している幸せや満足は、心の奥の静寂の中にあるんですよ。

それは表面的に生起する現象とは何の関係もなく、ただ「いまここ」に在り続けています。

でも静かゆえに、騒がしい自我君の声にかき消されてしまうんですな。



どうですか、お若いの。

また足を止めて、深呼吸でもしてみませんか。

終わってしまったことや、いま起きていることや、この先起きるかもしれないことを、考えるのはやめにしなされ。

考えは考えを生むだけですよ。


考えとは、自我君の道具なのです。

したがって、考えても幸せになれません。

幸せなときって、何も考えていないでしょ。

「ああ、なんて幸せなんだ、あーでもない、こーでもない・・・」なんて言っていないでしょ。



あはは、今日もまた、同じ話を繰り返してしまいましたな。

同じ話を、くどくどと、何度でも言い続ける、それが隠居爺の特徴でしてな。


ひざの上の猫でも撫でながら、熱いお茶を飲んで、今日も日向ぼっこをして暮らすとしよう。



また来なされよ。



おっほっほっほ・・・




・・・・・・・



ところで、話はいきなり変わりますが、3月20日に山川紘矢さんと山川亜希子さんと、東京で一緒に講演会をさせてもらいます。


昼の部が、山川紘矢さんと僕。

夜の部が、亜希子さんと僕。


どう?面白そうでしょ。



来週になったら詳細をお知らせしますね。

  

Posted by Toshiro Abe at 09:42Comments(36)

2010年01月28日

伝言

どんな生き方が正しいのか。

人生で何を成し遂げたらいいのか。

どんな自分になるべきか。

何を目指すのか。



昔は、そんなことを考えて生きていました。

そのことがとても重要だと思ったからです。


人は生きる指針のようなものを必要とします。

ある種の信条のようなものです。

あらゆる現実を、その信条を基準に生きようとします。


でもあるとき気づきました。

信条は固定されたものであり、それはすでに死んでいると。

もっと大切なのは、いまに対する生きた感応ではないかと。


そして、そこから自由になりました。

これが、昔の自分と、いまの自分の、もっとも大きな違いです。



現象を連続性の中で捉えないことです。


事は起きているのです。


言っていることわかりますか?


事は起きているのです。

それはハプニングです。


たとえばいまも、急にあなたの携帯が鳴るかもしれません。

ふとトイレに行きたくなるかもしれません。

何かを思い出して、いやな気持ちになったり、幸せな気持ちになったりするかもしれません。

人生とは、そのようなハプニングの連続であり、その瞬間の解釈と反応によって作り出されています。

その反応を作り出すのが、いまの生きた感性なのか、それとも過去の死んだ信条なのか、その違いは大きいのです。


それが解ると、人生が圧倒的に気楽になります。

持ち運ぶ荷物がなくなるからです。


それが「いま」を生きるということです。


より精神的である必要もなく、真理を生きようとする必要もなく、ただその瞬間の自分でいればいいだけです。


それは一貫性がないように見えます。

でもそのように見るのはいったい誰でしょうか。

そうやって判断するのは、いったい誰でしょう。

それこそが固定化された自我ではないでしょうか。



いったい僕たちは誰になろうとしているのでしょう。

悟った人ですか。

正しい人ですか。


それはどちらも理想のイメージに過ぎません。

そしてそのイメージが荷物になるのです。



ああ、あるがままの自分を生きるとは、なんて清々しいものでしょう。



これからも刻々と事は起きていきます。

僕たちの思いや信条とは関係なく、起きることが起きていくことでしょう。



ただそれだけのことです。


秘訣は、正しく生きることではなく、より良く生きることではなく、リラックスして生きることです。


最良でなくていいんです。

最善でなくていいんです。


僕たちは「波」という現象ではなく、「海」そのものなのですから。

どんな波でもいいじゃないですか。

どの道、みんな同じ一つの海なんですから。



だから頑張っていい波を生きるのではなく、海になって波の形はお任せしましょう。




・・・・・・・・・・



週末は、広島と名古屋で講演させていただきます。

広島はまだ席があります。

詳しくはコチラから。  

Posted by Toshiro Abe at 09:04Comments(49)

2010年01月27日

夢の中で見た夢

先日アップした、黒斎クンとのコラボ講演会の模様、もうご覧になりましたか?

思いのほかご好評をいただいているので、再掲します。

これは僕自身の目覚めの経緯をお話したものですが、目覚めの瞬間と、そこに至る経緯は人の数だけあると思います。


僕の体験を、一つのケースとして参考にしていただけたら幸いです。



前半(10分)



後半(10分)





このYou Tube動画は『一瞬で幸せになる方法―「いまここ塾」の教え』の宣伝用に作ってくれたものですが、今回は2冊立て続けに本を出してもらえて、本当にラッキーだと思っています。

周到に計画したわけではありませんが、きっとそのような流れになっていたのでしょう。



3月には3冊目が刊行されます。

裏ブログの、「随(かんながら)神」です。

タイトルは「随神物語」(かんながらものがたり)になる予定で、いま全体の構成や細かい文章の手直しをしているところです。


この物語を書いた当初から、こうして書籍化されることを強く願っていました。

丸10年かかりましたが、実際に発売が決まって感慨深いものがあります。



今日は秘密をお話しましょう。

恥ずかしくて誰にも言ってこなかったのですが、このさい、シャレのつもりで聞いてください。


実はですね、僕が心に描いていたのは、単に本になって発売されることだけではないんです。

映画化されることや、外国語に翻訳されて世界中の人に読まれることまで想像していました。



いつそんな夢を描いたと思います?


物語を書いたときじゃありません。

平成元年に、初めて天河神社を訪れたときです。


川合というバス停でバスを降りて、そばを流れる天川のほとりに腰を下ろしたとき、そこに2羽の大きなトンビが、翼を広げて悠々と空を飛んでいました。

その姿を見上げながら、ウォークマンで喜多朗の「シルクロードのテーマ」をかけたんです。


その瞬間です。

これから体験することが、いつか本となって、映画となって、ゆくゆくは世界中の人に読まれるようになるというビジョンが沸いたのです。


あまりに荒唐無稽な話なので、自分でも心の中で笑っていましたが、いまその一つが実現しようとしています。

そもそも僕が物語を書くということ自体が、当時としては考えられないことだったので、なぜそのようなビジョンが浮かんだのか、ちょっぴり不思議な感じです。


みなさんの中に、そんな体験をしたことがある人はいませんか。


思い描いたときは、あまりにも突飛な空想なのに、いつの間にかそれが実現していたってこと。


それって、いわゆる引き寄せの法則なのでしょうか。

それとも、すべての未来は決定されていて、それを何かの拍子に垣間見てしまうのでしょうか。


僕は後者のような気がしています。



もちろん全てが的中するわけではなく、映画化の話も、世界に翻訳される話もあり得ないかも知れませんが、いまも可能性はゼロではないような気がしています。


そう思うと人生は楽しいですね。

どの道、人生そのものが夢なのですから、どうせ見るなら楽しい夢にしましょう。




今日もここに来てくれてありがとうございました。  

Posted by Toshiro Abe at 09:13Comments(35)

2010年01月26日

懐疑的態度と、全面信頼は、どちらも重要です

昨日は久しぶりに息子と長時間話し合いました。

と言っても、いつだって僕が話したい内容は、この「いまここ塾」のブログで紹介しているようなことに尽きるわけで、それは相手が息子だろうと同じことです。

で、とことん話したわけです。



たとえば、僕たちの本質は決して死なないし、永遠不滅のものだということ。


すると息子が言いました。

「死んだことあるの?はっきり覚えているの?」


「いや、そうじゃなく、生死を越えた体験から確信したんだよ」


「それをどうやって証明するの?証拠は?」


「いや、だからそれは実感して初めて解ることで、証明はできない」


「悪いけど、僕は自分が実感するまでは、いかに親の話でも信じない」


ま、こんなやりとりでした。



僕は思いました。彼の態度はとても大切だと。

そうなんです。それくらいの慎重さがなければ真理を獲得することはできません。

あの人が言うからとか、この人が言うからとか、そのような態度では、あいまいな妄想や虚言さえも信じてしまうかもしれません。


このような懐疑的態度は、男性に多いように思います。

男性の存在センターは思考にあるからです。

思考は論理や証拠を重視し、疑うことで真理に近づこうとします。

それが科学の基本姿勢であり、科学は男性性が築き上げたと言ってもいいでしょう。




反対に女性の多くは、いきなり信頼する能力を持っています。

それを論理ではなく、直感という形で判断するのです。

さっき言ったことと矛盾しますが、こちらもとても重要な要素です。


どちらが真理に近づくのが早いかといえば女性です。

彼女たちは全身全霊で信頼することを知っているので、一度そのような感覚を持ってしまえば、真理が乾いたスポンジに浸透する水のごとく、あっと言う間に真髄を体得することができます。


だから古今東西、真理に興味を持って、そこに帰依しようとするのは女性のほうが多いのです。

その割合は、8:2だと言います。


おそらくこのブログも8割がた女性の読者でしょう。

それは僕の顔が可愛いからではなく(笑)、このような情報に興味を持つ人の割合です。

釈迦の時代から、変わらずにそうだったそうです。


それじゃ、なぜ名高い聖者や教祖たちは、みな男なのかという疑問が残ります。

これについても僕なりの答えを持っていますが、ここに書くと長くなるので、また別の機会にします。



で、今日は結局のところ何が言いたいのかと言うと・・・


何も言いたいことはありません。

こうして出会えたことに感謝します。

男性は男性なりに、女性は女性なりに、これからもよろしくお願いします。



どちらの性も、真理に到達するために必要なことが毎日起きています。

そんな展開を信頼して、あなたらしくあなた自身を生きてください。


あなたを応援しています。




さて、また新刊のAmazon予約が始まりました。

今度は2月22日発売の、「一瞬で幸せになる方法」(サンマーク出版)です。

中身は先日僕が個人出版した「いまここ塾」と同じです。

内容を評価してくれて、こうして全国発売に結び付けてくれたこと、関係者の皆様に心より感謝します。








ご注文はコチラから。



「いまここ」すべてがうまく流れ出す宇宙の絶対ルール(ダイヤモンド社)も、よろしくお願いします。
  

Posted by Toshiro Abe at 08:19Comments(34)

2010年01月25日

1月25日の記事

昨日は仙台で初めてのいまここ塾でした。

少し前なら、まったくトンチンカンにしか見られなかったメッセージに、多くの人たちが共感してくれる時代になったと感じています。


思考を超えたリアリティを、どのように思考に訴えるかが長年の課題でした。

しかしそれは、個々の内なる感性が発達することで、いつの間にか解決していました。



しかもこの変化は大きな波となって、地上全体に広がっていくという予感があります。


その予感は、日に日に強まるばかりです。


幸運にもこのような講演をやらせてもらっている現場の人間だからこそ感じることかもしれません。


僕は刻々と変わりゆく時代の証人の一人だと思っています。



今から沖縄に帰ります。



この地上に愛と理解の花が咲きますように。



・・・・・・



明日のいまここ塾は久しぶりの中城です。


沖縄の方は気軽にお出かけください。  

Posted by Toshiro Abe at 08:33Comments(29)

2010年01月23日

1月23日の日記

昨日、息子とコンビに買い物に行ったんです。

そしてレジに並んでいたら、年配の婦人が、凄い剣幕でレジの店員を叱責しています。

どうやら公共料金の支払い方法が納得いかなかったようです。


店員は20代の女性で、手続き上のことを繰り返し説明しているのですが、ご婦人は納得しません。

そのうち「手数料を取っているんだから責任取れ」となって「お金を払え」とまでエスカレートしていきました。


どうやら店員のミスというよりは、支払う側の思い込みといった感じのやり取りでした。

店員は不条理な抗議にもかかわらず、ただひたすら謝っていました。



僕たちが店を出てからも、中ではまだ大声が続いていたので、僕は息子に言いました。

「あの子、可哀想だね」


すると息子が言いました。

「あれはまだいいほうだよ。だってあの人本気で怒っていたもん」

「どういう意味?」

「もっと悪質なのは、単に言いがかりをつけにくる客さ。ストレスを吐き出しに来るんだ」


そうか、そういえばこの子は、高校生活の中で数ヶ月間コンビニのバイトをして頑張っていたんだっけ。

学校よりたくさん学べたって言ってたけど、いろいろ大変なことがあったんだな。


「客から小突かれたこともあったし、唾を吐きかけられたりもしたよ」

「なんで?!」

「カードにポイントを付けたんだけど、それを相手が見ていなくて、馬鹿にするのかって・・・」


「で、どうした?」


「謝ったよ」


「悔しかっただろ?」


「うん、でもそんなこと、しょっちゅうだったから」



僕はのほほんと好きなことをして、運よく生活ができているけど、世の中には苦しみや怒りが蔓延していて、それが弱いところに向かって吐き出されているんだと思いました。

それを受ける側のストレスはいかほどのものか。


さきほどの婦人が、しかめっ面で帰っていきました。

店の中をのぞくと、一方的に責められていた店員が、もう笑顔を浮かべて接客しています。



すごいなぁ。

みんな、すごいなぁ。



僕は以前、もし仕事が無くなって食べられなくなったら、コンビニのバイトでもやるさって言ったことがあったけど、あまりにも無知で、恥知らずな発言でした。


この僕に勤まるわけがない。

客の首根っこを掴んでいるのが落ちだろう。

それにコンビニ店員たちがこなす仕事の種類と量は半端じゃない。

若いころならともかく、今の僕にはどうにもならないだろう。

まるで人生がわかったようなことを言っているけれど、実際には何もできない自分がいるわけで、もっと謙虚に、もっと頭をたれて生きていかなきゃって思いました。



息子に言いました。

「バイトやって良かったね」

「うん、あれからどんなお店に入っても、店員さんに『ありがとう』って言うようになったよ。たしかにバイト料をもらっているけど、それ以上に客のためにやってあげていることが多いからね。そうか、やってもらっていたんだってことに気がついた」


そう言われてみれば、今着ている服も誰かが作ってくれたんだし、毎日食べているものだって、自分が畑で作ったわけじゃない。

僕たちは何から何まで「おかげさま」で生かされているんだ。




何から何まで、ぜんぶ「おかげさま」だったんだ。




そんな簡単なことに気づかされた、沖縄の夜の一コマでした。
  

Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(47)

2010年01月22日

遠離一切顛倒夢想

外側の世界で何が起きていようと、表面的に自分が何を感じていようと、その背後には、いつも変わらず、ただ全てに安心して、満たされている自分がいるんです。

それは例外なく、全ての人の中にいます。

いっさいの信念や条件付けに影響されることなく、ただあるがままを受け入れ、すべてを慈しみ、愛を持って見つめています。

あるがままを受け入れているから、何の軋轢もなく、ただ静かに淡々と存在しているのです。



あまりに静かなので、そして何の問題も持っていないので、問題を見ることしかできない思考には、決してそれを見つけることはできません。


思考はあるがままの現実の中に問題を作り出し、さらにはその問題をどうしようかと考え始めます。

その考えは決して止むことがなく、いつまでも同じ回路をぐるぐると回り続けています。


もう何年くらいそれをやっているでしょう。

おそらくは物心ついてからずっとです。

でもその間中も、静かに全てを受け入れている存在は、一瞬も我々から離れることなく、いつも「いまここ」に在り続けていました。

それこそが本当の自分です。


本当の自分は、そうやって僕たちの心のずっと奥のほうで、僕たちのあらゆる過ちや愚かさを許しながら、いつの日か見つけ出されることをじっと待っているのです。



「見つけた!」


「見性!!!」




その時、あらゆることが逆転します。

下だと思ったものが上になり、上だと思ったものが下になります。



遠離一切顛倒夢想(おんりーいっさい てんどうむーそう)



よくもここまで勘違いの人生を生きていたものだと、その徹底したひたむきさに感心し、その愚かさを笑い出します。

思考が作り出したありもしない自分を、ありもしない周りから、必死になって守り続けていたなんて・・・


そんな大きな気づきが、あらゆる人の魂に最初から組み込まれています。

それが「いつ」なのかも含めて、完全にプログラムされているというのが、僕の経験からの感想です。



さて、その存在をはっきり見届けたとしたら、その先はどうなるのでしょう。

実際には、そこからまた新たなる旅が始まります。

いままでどおり、起きることが起きていきます。


見性すれば、悟れば、目覚めれば、問題が全部消えて無くなって、永遠の幸福が続くと思ったら、残念ながらそうはなりません。


実際には、目覚める前(悟る前)との違いが、ほとんど何も無いと言ってもいいかもしれません。



こんなことを言ったら、せっかく目覚めに関心を持ち始めた人を、失望させるかもしれませんね。


でもご安心ください。



問題が起きたとしても(勘違いにハマったとしても)、それはほんの僅かの期間で、すぐにまた本当のことを思い出します。


圧倒的に気持ちは楽になっています。


人の目という幻想から解放されて、自分を生き出します。


全ての現実がスムーズに流れ始めます。


いつもワクワクした気持ちに満たされています。



こんなところでいいですか(笑)






さて、昨日アップしてすぐに取りやめた講演会の動画です。

You Tubeになって登場です。


今度は簡単に見れると思いますので、時間がある時にでもお楽しみください。

黒斎クンの漫画顔が、彼の人柄を表していて、ほほえましいですね。



前編


後編  

Posted by Toshiro Abe at 08:31Comments(44)

2010年01月21日

新刊の発売を前に

さていよいよ、今月末発売になる本の、アマゾン予約受付が開始されました。

タイトルはズバリ

「いまここ」すべてがうまく流れ出す宇宙の絶対ルール(ダイヤモンド社)



まだ表紙がアップされていないので、こちらに載せておきます。






いまなら送料が無料のようです。

先行予約はコチラから。




さらに今日はプレゼントがあります。


初公開になりますが、講演会の模様を紹介します。

先月黒斎クンとやった、コラボ講演会の模様です。

黒斎クンの顔の画像処理が笑えますニコニコ


こちらは来月末発売になる『一瞬で幸せになる方法―「いまここ塾」の教え』(サンマーク出版)の宣伝用です。


この動画は、さっきまでアップしていたのですが、重かったのと、サイトにアクセスが集中してダウンしてしまう可能性が出てきたので、後日YOU TUBEにアップしなおすそうです。

それまでお待ちください。


・・・・・・・・



今月は、もう3ヶ所で講演させていただきます。


1月24日 仙台


1月30日 広島


1月31日 名古屋


詳細は都市名をクリックしてください。

(名古屋は満席のため受付を終了しています)



みなさんとお会いできるのを、楽しみにしています。  

Posted by Toshiro Abe at 09:02Comments(34)

2010年01月20日

終わりと始まり

今までに、多くの人たちが、「今年は変化の年だ。大きな幕開けだ」と言ってきました。

僕自身はその言葉を聞いても、あまりピンと来ることはありませんでした。

変化は毎年のように起きているのだから、ことさら騒ぐことでもないだろうと思っていました。



その僕が、2010年は大きな幕開けだと言い始めています。

この幕開けが、僕個人のことなのか、社会のことなのか、あるいは地球全体のことなのか、それはわかりません。

もしかしたら全部が繋がっていて、同時に起きているのかもしれません。


いずれにせよ、僕自身はそのように言いたくなるくらい、何かの前兆を感じ取っています。



今年は、多くの人の目覚めが始まっていく。

本当の自分に目覚める人が次々に現れる。


今年は「目覚め元年」。




「私が私だと思っていたものは私じゃなくて、本当の私は真理であり、全体だったんだ」



はいそのとおりです。



おかえりなさい(^o^)



今年は、いままでの「私」の終わりで、本当の「私」の始まりです。  

Posted by Toshiro Abe at 09:32Comments(27)